「特別な、幸福な生活」

  「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。」(ガラテヤ5:24、25)

 改心した者は自分の友達がキリストのためにすべてを捨てるようにという切なる願いを絶えず感じる。彼らがそうしないかぎり最終的で永遠の離別があることを知っているからである。真のクリスチャンは不信心な友人といるときに、軽薄や軽率ではいられない。キリストがそのために死なれた魂の価値は非常に大きい。
 「自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない」と、イエスは仰せになる(ルカ14:33)。神から愛情をそらせる者はなんであってもあきらめなければならない。富は多くの者にとって偶像である。その金の鎖は彼らをサタンに結びつける。また他の人々は名声と世的な名誉を崇める。また責任から逃れた利己的で安逸な生涯を偶像とする人々もいる。これらはサタンのわなであり、軽率な者の足元に置かれている。しかし、これらの奴隷のくびきは砕かれねばならず、肉は情と欲と共に十字架につけなければならない。わたしたちは半ば主のもの、半ば世のものであることはできない。(教会への証5巻83)
 あなたは、自分を神にささげ、全く神のものとなり、神に仕え、神に従い、キリストをあなたの救い主として受け入れたのである。あなたは自分ではおのれの罪をあがなうことも、心を変えることもできなかった。しかし神におのれをささげ、神がこれをすべてキリストのゆえになしてくださったと信じたのである。信仰によってキリストのものとなったのであるから、また、信仰によってキリストのうちに成長するのである。これは、こちらからも与え、また、神からも受けることである。自分の心も意志も奉仕もすべてを神にささげ、神のご要求にことごとく従わねばならない。そして、服従する力をうけるには、あらゆる祝福に満ちあふれるキリストを心に宿し、キリストをあなたの力、義、また永遠の助けとしてうけなければならない。(キリストヘの道93)
 キリストとつながっている者は、思いのままに幸福になれる。救い主が導かれる道に従う。このお方のために情と欲と共に自己を十字架につけているからである。これらの人々はキリストに自分の希望を築いているので、地上の嵐は彼らを確かな土台から一掃する力はない。」(教会への証し4巻655)


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