「心の奥底から従う」


  「わたしの声に聞きしたがいなさい。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。わたしがあなたがたに命じるすべての道を歩んで幸を得なさい。」(エレミヤ7:23)

 わたしたちは各々、従って生きることもできるし、もしくは神の律法に違反しその権威を無視して罰を受けることもできる。それではわたしは天からの声、シナイ山で語られた十戒に従うのであろうか、それともその恐るべき律法を踏みにじる大多数の者と一緒に進むのであろうか。神を愛する者にとってその戒めを守ること、その御目に喜ばれることをするのはこの上ない喜びである。しかし生来の心は神の律法を憎み、その聖なるご要求に向かって戦う。 人々は聖なる光に対して魂を開ざし、その光が自分の上に輝くときにそのうちに歩むことを拒む。彼らは利己的な満足、世的な富のために心の純潔、神の好意、天国の希望を犠牲にする。
 詩篇記者は「主のおきては完全であって」と言う(詩篇19:7)。エホバの律法は、その単純さ、その包括的かつ完全さにおいて、なんと素晴らしいことであろう!それは非常に簡潔なので、すべての教訓をたやすく記憶することができるが、しかも神のみ旨全体を表現するほど遠大であり、外面の行動だけでなく、心の思想、意図、願望、感情まで範疇(はんちゅう)に含む。人間の法律はこれをすることができず、外に現れた行動に対処できるだけである。ある人が違反者であってもその悪事を人の目から隠すことはできる。彼は犯罪者一泥棒、殺人者あるいは姦淫をする者であるかもしれないが、それが発見されないかぎり法律は彼を罪に定めることはできない。神の律法は、行動として外面に現れなくても、魂全体にわきおこる嫉妬、妬み、憎しみ、激しい悪意、復讐、肉欲、野望に注目する。外面に現れなかったのは、意志ではなく、機会がなかったからである。(セレクテッド・メッセージ1巻217)
 だれの心の中にも主がはっきりと見られることのない動機はないことをすべての者が覚えていよう。一人びとりの動機はあたかもその人の運命がこの一つの結果に掛かっているかのように注意深く量られている。(レビュー・アンド・ヘラルド1906年3月8日)


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