「降伏の結果」

 「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。」(ヨハネ14:15〜 17)

 キリストは聖霊の賜物をご自分の教会に約束されたが、その約束は、最初の弟子たちと同じようにまたわれわれのものである。しかしほかのすべての約束と同じように、それは条件つきで与えられている。主の約束を信じ、これをわがものと主張する人は多い。彼らはキリストについて語り、聖霊について語るが、何の益も受けない。彼らは天来の力によってみちびかれ、支配してもらうために魂をあけわたそうとしない。われわれが聖霊を用いることはできない。みたまがわれわれを用いてくださるのである。みたまを通して、神は民のうちに働き、「その願いを起させ、かつ実現に至らせ」てくださるのである(ピリピ2:13)。しかし多くの者はこれに従おうとしない。彼らは自分で自分を支配したいのである。これが、彼らが天の賜物を受けない理由である。みたまは、へりくだった心で神に仕え、そのみちびきと恵みを待ち望む者にだけ与えられる。神の力は彼らが求め、受けるのを待っている。この約束された祝福を信仰によって求めるときに、ほかのすべての祝福は次々と与えられる。それはキリストの恵みの富にしたがつて与えられるのであって、主はどの魂にもその受け入れる能力にしたがっていつでも与えてくださる。(各時代の希望下巻158)
 神はだれも間違う必要がないようにわたしたちに明確な指示を与えておられる。「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」とこのお方は仰せになる(マタイ4:4)。霊感によって与えられた真理は「人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(テモテ第二3:16)。ひとつの言葉、あるいは多くの言葉によってではなく、神が語られるすべての言葉によって人は生きるのである。たとえあなたには些細なことのように思われたとしても、このお方が与えておられるひとつの言葉、一つの命令でも無視しながら、安全ではいられない。(教会への証5巻434)
 聖霊を分け与えることはキリストの命を分け与えることである。神にこのように教えていただく者は聖霊の内なる働きを所有する者だけであり、キリストのようであることが表されるその生涯に、救い主の真の代理者として立つことができる。(キリストを映して31)




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