「聖霊の力のもとで」

  「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね」(イザヤ61:1)


 キリストは人々のいるところで彼らに会われた。このお方は最も力のこもったしかも単純な言葉で彼らの思いにはっきりとした真理を示された。このお方を信じる信仰を通して、身分の低い貧しい者や、最も無学な者が、神の最も高められた真理を悟ることができた。だれもその意味に関して学問のある博士に意見を聞く必要はなかった。キリストは、無知な者の知らない神秘的な推論であるいは不慣れな博識な言葉を用いて、彼らを当惑させることはなさらなかった。世がかつて知った最も偉大な教師は、その教えにおいて最も明確で単純で実際的であられた。イエスは絶えず一つの目的のために働かれた。その力はすべて人々の救いのために用いられ、その生涯のあらゆる行為はその目的のためであった。このお方は出かけるとき、ご自分に従う者を教えつつ徒歩で旅行なさった。その衣服はほこりにまみれ旅で汚れており、その外観は人を引きつけるものではなかったが、その聖なる唇から語られる単純で鋭い真理は、たちまち聴衆にその外観を忘れさせ、人物ではなく、この方の教える教理に魅せられるのであった。(福音宣伝者1892年393)
 世の多くの人々は、それ自体は悪ではない事柄に愛情を注いでいる。しかし、彼らはこれらのことに満足し、キリストが与えたいと思っておられるもっと偉大なもっと気高い良いものを求めない。わたしたちは今彼らが大事にしているものを彼らから荒々しく奪ってはならない。真理の美しさと尊さを彼らに示しなさい。キリストをその麗しさの内に見つめるようにと彼らを導きなさい。そうすればこのお方から彼らの愛情を引き離すあらゆるものから彼らは離れるであろう。これが救い主の人々を取り扱われる原則であり、教会に持ち込まれなければならない原則である。……
 世は悲しみと苦しみと罪の重荷を抱えている男女に満ちている。神は、彼らの重荷をとりさり、休息を与えるお方を彼らに示すために、ご自分の子らをお送りになる。助け、祝福し、癒すことがキリストの僕の任務である。(教会への証6巻54、55)

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