「任務と慰め主」

 「人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。」(マルコ13:11)


 わたしたちはまだまだしきりに自分の嘆願をもってせがみ、聖霊の賜物をこのお方に求めようとしていない。主はこのことでわたしたちがご自分を煩わせることを望んでおられる。わたしたちが御座に来てしきりに嘆願することを望んでおられる。神の改心させる力がわたしたちの教会全体に感じられる必要がある。得ることのできる最も価値のある教育は、今は暗闇である場所へ真理のメッセージを携えて出て行くことの中に見出される。ちょうど最初の弟子たちがキリストの任務に従って出て行ったのと同じように、わたしたちも出て行かなければならない。…。「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ」と、このお方は仰せになつた。……
 主はわたしたちがご自分と調和することを望んでおられる。もしわたしたちがこれをするなら、その御霊がわたしたちを支配する。(クリスチヤン教育の基礎537、538)
 神のみ言葉の光の中での綿密な自己吟味が必要であるが、それはわたしたちが果たすべききわめて重要な働きをすることができるためである。(サザン・レビュー1899年12月5日)
 人の罪のために死んでいかれる十字架上の神の御子の啓示は、無限の愛の力によって人々の心を引き寄せ、罪人に罪を確信させる。キリストは律法が犯されたので死なれたが、それは罪を犯した者がその極悪の罪の罰から救われることができるためであった。しかし歴史は、世界を回復するよりは滅ぼすほうがたやすいことを証明している。なぜなら、地を天と結びつけ、人を神と結びつけるために来られた栄光の主を、人々が十字架につけたからである。(同上1890年8月26日)
 〔キリスト〕は、ご自分に従う者が議会や裁判官の前に立たなければならないとき、何を語るべきかを考える必要はないと約束なさった。わたしがあなたを教えるであろうと、このお方は仰せになった。わたしがあなたを導く。神が教えられるということがどういうことであるかを知って、わたしたちは天来の知恵の言葉が思い起こされるとき、それらを自分自身の思想とは区別するのである。わたしたちはそれらを神のみ言葉と理解し、神のみ言葉の中に知恵と命と力を見る。(クリスチヤン教育の基礎538)

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