「表面的知識では十分ではない」

  「神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。」(コロサイ1:27)

 神のみ言葉には私達が理解していない多くの奥義がある。そしてわたしたちのうちの多くの者は、キリストに関する知識をわずかに受け始めた時、満足して自分の研究を止めてしまう。人の思いに対する神のご目的が少し明らかされ始め、またわたしたちが神の御品性の知識をわずかでも得始めると、私達は満足して、神のみ言葉のうちに私達のためにある光をすべて受けてしまったかのように思う。しかし神の真理は無限である。私達は勤勉な努力により真理の鉱脈に従事し、隠されている貴重な宝石を発見するべきである。…イエスは弟子達に「聖書を…調べ」る(ヨハネ5:39)ようにと命じられたとき、言葉通りのことを示された。探求とは聖句と聖句を比べて研究し、霊的な事柄は霊的な事柄と比較することである。わたしたちは表面的な知識に満足してはならない。(RH1889年6月4日)
 私達は主がご自身の民のためになそうとしておられることを半分も理解していない。…信仰と悔い改めとを交えたわたしたちの嘆願は、神がご自分の聖徒に知らせようとされている奥義の理解のために、神にささげられるべきである。…天使の筆も、現わされた救いの計画の栄光をすべて描くことはできなかった。聖書はキリストがどのように私達の罪を負い、悲しみを担われたかを述べている。いつくしみとまこととはカルバリーの十字架でどのように共に会い、義と平和とはどのように互いに口づけし、キリストの義が堕落した人間にどのように分け与えられているかがここに示されている。そこには無限の知恵と無限の義、そして無限のあわれみと無限の愛が掲げられている。愛と知恵の深さと高さ、そして長さと広さ、またすべての現在の知識が、救いの計画の中に知らされている。(同上)
 自分の心に真理を望み、生活と品性にその力の働きを切望している者は、必ずそれを得るであろう。主は「義に飢え渇いている人達は幸いである。彼らは飽き足りるようになるであろう」(マタイ5:6)と言っておられる。(同上)


http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村