「だれが神を知ることができるか」

  「あなたは神の深い事を窮めることができるか。全能者の限界を窮めることができるか。」(ヨブ11:7)

 私達は探し求めることによって、神を見出すことはできない。しかし父の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿である御子において神はご自身を表わしておられる。もし私達が神を知りたいと願うならキリストのようにならなければならない。…キリストを個人的救い主として、信仰によって、純潔な生活を送るならば、信者はもっとはっきりとした高貴な神の概念に到達するであろう。…
 永遠の命は、神に対する愛と人に対する愛という、神の律法の二大原則に従うすべての人に与えられる報酬である。最初の四つの戒めは神に対する愛を明示し、命じている。残りの六つは私達のまわりの人に対する愛である。これらの戒めに対する従順は神の本当の救いの知識を持っているということを人があらわすことのできる唯一の証拠である。神に対する愛は、キリストがそのために死なれた人々に対する愛によってあらわされる。雲の柱で覆われている間に、キリストは、この愛に関する指示をお与えになった。御自分の選ばれた民がお互いの交わりにおいて、守るべき法則として主は天の原則をはっきりと明らかに制定された。これらの原則をキリストは人性を取られたご自分の生活においてあらわされた。ご自分のみ教えの中で、主は主に従う人の生活を支配すべき動機を表わされた。…
 真理を受け入れることによって、神の愛にあずかる人々は、神の愛のメッセージを他の人に伝えるために、熱心に自己犠牲的な努力をすることによってその証拠を示す。こうして彼らはキリストとの共労者になる。神に対する愛とお互いとに対する愛は金の輪でキリストヘ結びつける。彼らの命は清められ高められた一致により、主の命に結びつけられる。…この結合はキリストの愛の豊かな流れを心に絶えず流れ込ませ、そこから他の人への愛となって再び流れ出る。
 神を知るために、すべての人々が必ず持たなければならない資質は、キリストのご品性の完全さを特徴づけるもの、すなわち、主の愛、主の忍耐、主の無我の精神である。これらの特質は親切な心で親切な行いをすることによって養われる。(YI1900年3月22日)

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