「希望の星」

  「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ1:29)

 堕落した人間に対して、無限の犠牲を通して救いが提供されるという計画が現わされた。神の愛する御子の死以外に、人間の罪を贖うことはできなかった。そしてアダムは、罪人の為にそのような、償いを用意してくださる神の慈悲に驚いた。神の愛を通して、希望の星が、罪人の前に広がっている恐ろしい将来を明るくした。犠牲と供え物の儀式の制度を通して、キリストの死は罪を犯した人間の前に永久におかれるべきであった。それにより人が罪の性質と不法の結果、そして聖なる供えものによる功績を、よりよく理解できるためである。もし罪がなかったならば、人間は死を知らなかったであろう。しかし罪のないいけにえを自分の手で殺すことにより、人間は罪の実すなわち身代わりである神の御子の死を見たのである。人間は自分が犯した律法の不変の性格を知り、自分の罪を告白する。彼は、神の小羊の功績に頼るのである。…
 人間の身代わりとなり、人の上に落ちるはずであったのろいを負うことによって、キリストはご自分の父の律法の神聖で高められた栄誉を維持するために、人類のため、ご自身を与えられたのであった。・‥神はキリストのみ手に世界を与えられた。それゆえに主は、律法の拘束力のある要求を完全に主張し、原則すべての神聖さを完全に表すことがおできになる。(ST1893年2月20日
 動物の犠牲は、神の愛する御子の罪のない犠牲を象徴し、十字架上の主の死を指し示していた。しかし十字架において、型は実体と会い、儀式の制度は働きを終えたのである。……
 神の御子は、すべての摂理をおおっている贖いの偉大なる計画の中心であられる。主は「世のはじめからほふられた小羊」(黙示録13:8英文)である。主は人類の恩恵期間の間中、アダムの堕落した息子、娘たちの救い主である。「この人による以外に救いはない。私達を救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4:12)。(同上)

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