「あらわされた神のご品性」

  「しかし、まだ罪人であった時、私達のためにキリストが死んで下さったことによって、神は私達に対する愛を示されたのである。」(ローマ5:8)

 人間の堕落は、その結果もすべて含めて、全能の神に隠されはしなかった。あがないはあとからの思いつき、つまりアダムの堕落の後で作られた計画ではなく、むしろ永遠の目的であった。それは地球という小さな原子の祝福のためばかりではなく、神が造られた、全宇宙の幸福を成就するためにささげられたものであった。…
 人が罪を犯した時に、全天は悲しみに満たされた。…神のご性質との調和を乱し、神の律法の要求に従わないことにより、破滅だけが人類の前に置かれた。神の律法が、神のご品性と同様に不変であるから、人間には、何らかの方法で彼の罪が許される計画がなされない限り、そして人間の性質が新たにされ、人間の心が神のみ姿を反映するように回復するまでは、望みはあり得ないのである。神の愛は、そのような計画を心に抱いておられたのである。…
 創造の働きにおいて、キリストは神と共におられた。主は神と一つであり、等しくあられた。 …人間の創造主であられる彼だけが、人間の救い主でありえた。天のいかなる天使も、み父を罪人にあらわすことはできず、そして人間を神に対する忠誠に引き返させることはできなかった。しかしキリストはみ父の愛をあらわすことができた。なぜなら神は、世をご自身に和解させられるキリストのうちにおられたからである。キリストは、聖なる神と、失われた人間との間にあって「われわれふたりの上に手を置く」ことのできる「仲保者」になることがおできになった(ヨブ9:33)。…主は罪の罪悪と恥、すなわち、神の御目に非常に不快なものであるために一罪一がみ父との間を決定的に裂くものとなるその罪のために、ご自身を提供されると申し出られたのである。キリストは悔い改めた者を回復し、信じる魂を神と調和させるために、人間の堕落と、苦悩の深みにまで達することを申し出られた。世の初めから屠られた小羊であるキリストは、アダムの堕落した息子達のために犠牲、身代わりとして、ご自分を捧げられた。(ST1893月2年13日)
 創造と贖いを通して、また自然とキリストを通して、神のご品性の栄光はあらわされている。「ひとり子」を与えるという神の愛の表現により、すばらしい…神のご品性が、宇宙の知性ある者達の前にあらわされている。(同上)

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