「若い人々にたいする光」

 「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。」(ルカ2:40)


 イエスの模範は分別盛りの人々に対してと同様に若い人々に対する光である。なぜなら、主の少年時代と、青年時代は一つの代表であった。主の幼年時代から、主の模範は完全であった。肉体的にも、精神的な活力においても、主がすべての若い人々に望まれるように、植物によって示される成長の神聖な秩序に従われた。主は天の君主であり、栄光の王であられたがベツレヘムで一人の幼な子となられ、しばらくの間、母親の保護のもとにある無力な幼児を代表された。少年時代には、主は従順な子供の務めを果された。主は大人の知恵ではなく子供の知恵で話し行動をされた。主は両親を敬い、子供の能力で役に立つ方法で両親の希望を満たされた。しかし成長の各段階において主は、罪のない生活の、単純で、自然な慎みを持っていて、完全であった。(YI1909年5月25日)
 ヨセフと、特にマリヤは、自分達の子供の神聖なみ父のことを記憶にとどめていた。イエスは主の使命の聖なる性格に一致した教育を受けられた。義に対するイエスの傾向は両親にとって絶えまない喜びであった。彼が両親にされる質問により、彼らはもっと熱心に真理の偉大な原理を研究するようになった。主の自然と自然の神についての、人の心を動かすみ言葉は両親の心を開き、明るくした。
 神のみ子の目は家の回りの岩々や小山にしばしばとまった。主は自然の事物に良く通じておられた。主は天に太陽を、また、それぞれの使命を果たしている月や星をご覧になった。歌声をもって主は朝の光を迎えられた。主はひばりが、その神にさえずりたたえているのを聞かれ、賛美と感謝の声で、和した。(YI1898年9月8日)
 静かで、おだやかであって、主は他とは区別された方のように見えた。そうできる時はいつでも、主は自然の神と交わるために野や山に一人で出て行かれた。仕事が終わると湖畔や森の木々の間を、そして、緑の谷間を歩き回り、そこで神について考え、ご自分の魂を祈りによって天へと高めることがおできになった。(YI1898年12月5日)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村