「柔和、愛、同情」

  「しかし主よ、あなたはあわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに豊かな神でいらせられます。」(詩篇86:15)

 神は私達に大きな悲しみが襲う時、思いやりと愛のある態度で互いに慰めあうべきであると奉仕のおきてに従ってお定めになった。誰も自分一人で生きてはいないし、自分一人で死んで行く人もいない。すべての人間にとって、生も死も共に何かを意味している。…神は、ご自分の品性を伝達するようゆだねられた人間の代理人に、ご自身の清められた、やさしい、あわれみに満ちた愛を明らかにすることによって、ご自身の恵みと知恵と慈愛をあかしする義務をお与えになった。…イエスは、…人間の苦悩に常にふれられた。それにより私達の心が主の聖霊によって和らげられ、静められて、私達が主のようになるためであった。…
 私達の働きは、イエス・キリストによって神が私達にお与えになる豊かな恵みを通して、人間のうちに神のご品性を回復することである。私達はどこにでも死にかかっている魂を見い出すことができる。寛容と同情を示さず、私達が一人の魂でも決して無視するようなことがないようにと、キリストの同情がご自身から私達に与えられるということはどれほど必要なことであろうか。…私は私達がキリストの優しさを常に学んでいるかということを尋ねたい。私達が品性の中に主をあらわすには、イエスと天の父をどれほどたくさん知る必要があることだろう。…
 イエスは私達を単に数時間の間、ご自分の恵みと臨在によって私達を元気づけ、そして悲しみと陰うつな生活とご自分から離れて歩むためにご自分の光の中から私達を送り出すために招いておられるのだろうか。否、否、主は、私達がご自分と共に住み、ご自分が私達のうちに住まなければならないと、私達に語っておられる。主の働きがなされるべきところにはどこにでも主は臨在され、柔和、愛、同情をあらわされる。主はご自身のうちにあなたと私が共に住む場所を用意されている。主は私達の隠れ家である。私達の経験はもっと広く、もっと深くなるべきである。イエスは表現することのできないご自身の聖なる愛のすべてをあらわして、あなたに仰せになる。あなたは「神の同労者である」(第一コリント3:9)と。「わたしにつながっていなさい」(ヨハネ15:4)、「わたしのくびきを負うて」(マタイ11:29)、これらの言葉は何とすばらしい意味を持っていることだろう。私達はくびきを負うているだろうか。約束は「そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう」である。キリストの内に住む時に、休み、完全な休息があるのである。(1etter 1a1894)

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