「私達があずかることのできる特性」

  「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」(ルカ6:36)

 慈悲は神を代表する代理人が、神と協力する時にあずかることのできる特性である。慈悲は親切やあわれみ深いことである。慈悲と神の愛は、魂を清め、心を美しくし、生活を自己中心から清めてくれる。…
 天使の軍勢に対する神の愛は、神ご自身の一部のようにその神性が、はっきりとしており、明確である。人類に対する神の愛は、特別な形すなわち、人間がすべてそれを受けるに値しないので、慈悲による愛となった。…
 慈悲は、それが与えられる対象が不完全であるという意味を含んでいる。人間の不完全のゆえに、慈悲は自発的に生じた。罪は神の愛の対象ではなく、神の嫌悪されるものである。しかし、神は罪人をあわれまれる。なぜなら罪を犯した人は創造主のみ姿を身につけており、自分自身の価値によるのではなく、ただイエス・キリストの負われた功績により、又罪人のために払われた救い主の大きな犠牲を通して、神の子となる力を神から受けたからである。
 戦っている教会の中で人の子らは罪の結果から常に回復される必要がある。…私達はすべてお互いに依存している。ある点で他の人よりもすぐれている人は、他の点ではおとっているものである。地上に住むすべての人は誘惑を受け易い。そして、すべての人は他の人の感化と同情を必要としている。…慈悲をあらわすことによって神と協力する人は、神が慈悲を施される場所へ自分を置く。この人は神の特性と調和しているからである。
 神の愛と慈悲は常に罪人に対して差し伸べられている。自分自身が神に対して罪を犯している者が、悔い改めた罪人をゆるしたり、受け入れたりすることを拒否することがてきるだろうか。…神は私達がまだ罪人であった時、私達を愛して下さった。「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」(ルカ6:31)というみ言葉によって、義務の方針が何とはっきりと、間違えようのないようにされていることだろう。…キリストと共に歩む者だけが真に慈悲深くなることができるのである。(1etter119,1893)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村