「私達の聖なる贖いであられるキリスト」

 「ほむべきかな、私達の主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみによリイエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、私達を新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。」(第一ペテロ1:3,4)

 「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており」(コロサイ2:9)。人は天地創造の神が苦しまれ、カルバリーの苦悩のもとに沈まれたということを理解する必要がある。しかし、神がこの世の贖いのために与えられたイエス・キリストは、ご自身の血で教会を買い取られた。天の王は、地上で最も啓蒙された民であると宣言していた宗教的熱狂者の手で、苦しめられた。
 神が創造され、彼らの生命の一瞬一瞬を神に頼っていた人たちや、またアブラハムの子であると主張していた人たちは、無限の神の罪のないみ子の上にサタンの怒りを積み上げたのである。キリストが律法の違犯によって引き起こされた重大な罪科を負われていた時に、また私達の罪を負い、私達の悲しみを身に受けておられる間、キリストは大祭司や指導者達によって……あざけられたのであった。…十字架において恵みと真理は共に会い、義と平和が互いに口づけしあった。ここに、すべての者が理解する必要のある中心課題がある。ここにあらゆる計算を越える長さ、広さ、,深さ、高さがある。…
 キリストの品性は、限りなく完全な品性である。み言葉はキリストのことを明言している。主は全世界の命のために、ご自身の命を与えられた方として、高められ、宣言されている。…キリストはご自身の命を与えられた。それで不忠実で、不従順などんな人間も、ヨハネ第一章に与えられている約束の真理を、認識できるのである。「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネ1:12)。「何回も何回もそれを語りなさい。私達は、神の子、王の家族の一員、天の王の子となることができる。キリストを受け入れ、そして、初めの確信を終わりまで_堅く保つ者はすべて、「朽ちず、汚れず、しぼむことのない資産」を受け継ぐために神の相続人、キリストと共に共同相続者となるであろう。(MS153,1803)


聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村