「教会、神にとって非常に尊い対象」 by E.G.White

天来の堅固な土台


 「すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。」(コリント第一3:11)「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」とイエスは言われた(マタイ16:18)。神と全天使たちの前で、また目に見えないよみの軍勢の前で、キリストは生ける岩の上にご自分の教会を建てられた。その岩はキリストご自身―われわれのために裂かれ傷つけられたキリストご自身のからだであった。この土台の上に建てられた教会に、よみの門は打ち勝つことができない。

 キリストがこのことばを語られたとき、教会は、何と弱々しくみえたことだろう。信者はほんのひとにぎりしかなく、この人々に向かって悪鬼と悪人の全勢力が向けられるのであった。それでもキリストに従う者たちは恐れないのであった。力の岩なるキリストの上に建てられているので、彼らを打ち倒すことはできなかった。(各時代の希望中巻181)

 キリストご自身が築かれた土台の上に、使徒たちは神の教会を建てた。(患難から栄光へ下巻303)


土台、組織、見解


 ヨハネとアンデレとシモン、またピリポとナタナエルの召しによって、キリスト教会の基礎が置かれた。(各時代の希望上巻161)


 十二弟子の任命によって、キリストが去ってのち地上でみわざを続ける教会を組織するための第一歩が踏み出された。……

 初代教会の歴史において、のちに、世界の各地で信者たちの多くのグループによって教会がつくられたとき、秩序と一致した行動とが保たれるように、教会の組織が一層完成された。教会員はみな自分の立場を尽くすようにすすめられた。だれでもみな、自分にゆだねられているタラントを賢明に用いなければならなかった。中には聖霊によって特別な賜物をさずけられている者もあった。「第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者」である(コリント第一12:28)。しかしこれらすべての種類の働き人は、一致して働かなければならなかった。(患難から栄光へ上巻10, 93, 94)

 人間の能力や人間の権力が神の教会を建てたのではなかった。また、それらが教会を破壊することもできないのである。人間の力という岩の上ではなくて、永遠の岩であられるキリスト・イエスの上に教会は建てられた。そして「黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」(マタイ16:18)。神の臨在が神の働きを安定させるのである。「もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない」という言葉が、われわれに与えられている(詩篇146:3)。「穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ書30:15)。正義という永遠の原則に基づいた、神の輝かしい働きは無に帰することはない。それは力から力に進む。「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」(ゼカリヤ書4:6)。(国と指導者下巻200)


神はご自分の教会を愛される


 神は生ける教会を持っておられないのだろうか。このお方は教会を持っておられるが、その教会は勝利した教会ではなくて、戦う教会である。……
 神は教会、選ばれた民を持っておられる。……キリストはご自分と、ご自分の民を結びつけられる。……(牧師と福音宣伝者への証p45, 20)

 神は組織を持った人々を持っておられる。彼らはこのお方を待ち、このお方に頼るのである。(ポールソン・コレクションp109)

 ご自分の教会に対する神の愛は無限である。ご自分の相続人に対するこのお方の配慮は永続的である。(教会への証9巻p228)

 御父は、ご自分の御子を愛されるように、今日の民を愛される。いつの日かわたしたちはこのお方と顔と顔を合わせる特権を持つのである。(原稿103, 1903)―セレクテッド・メッセージ2巻p396

 戦う教会は、今は勝利した教会ではない。しかし神はご自分の教会を愛され、預言者を通して、このお方がどのようにサタンと対立し、彼に抵抗されるかということを描写される。サタンは神の子らに非常に黒く汚れた衣を着せ、彼らを滅ぼそうとして訴えている。神の天使は、彼らを敵の攻撃から守っている。(牧師と福音宣伝者への証p22)

 …教会はこのお方の御目には非常に尊いのである。教会はこのお方の宝石が入っている箱であり、ご自分の群れを囲む囲いである。このお方はしみもしわもそのたぐいのものが一切ない教会をごらんになることを願われる。このお方は言い表すことのできない愛を持って、教会を思い、慕っておられるのである。(教会への証6巻p261)

 …主ご自身は、ご自分の教会ために喜び呼ばわられる(福祉の奉仕p93)

 神にとって、地上における最愛の対象はご自分の教会である。「主の分はその民であって、ヤコブはその定められた嗣業である。主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。」「あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのであるから、あなたがたを捕えていった国々の民に、その栄光にしたがって、わたしをつかわされた万軍の主は、こう仰せられる。」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1904年7月13日)


神の最高の関心の対象


 わたしは兄弟姉妹方に、キリストの教会は、弱く欠点があるかもしれないが、それはこのお方が最高の関心を持たれる唯一の対象であることを証言する。(牧師と福音宣伝者への証p15)
…神は民としてわたしたちに、このお方にとって特別な宝となるように求められる。このお方は、終わりの時代にいたるまで、地上の教会が霊と万軍の主の勧告によって完全に一致して立つようにと定められた。(手紙54, 1908年)

 神にとって、ご自分の教会ほど非常に愛しい存在はこの世にない。このお方は熱情的な関心を持って、ご自分を求める者たちを守られる。(セレクテッド・メッセージ2巻p397)

 弱く欠点があり、譴責され、警告され、勧告される必要がある教会は、地上においてキリストが最高の配慮を与えられる唯一の対象である。(牧師と福音宣伝者への証p49)

 人は、神が悩まれ、カルバリーの苦痛を受けられたということを理解する必要がある。神が世界の身代金としてお与えになったイエス・キリストは、ご自分の血によって教会を贖われた。天の大君は、地上で最も光を受けていると主張していた宗教的に熱心な人々の手により苦しみを受けられたのである。(彼を知るためにp70)


聖なる信任の受託者


 多くの人々は、自分たちの光と経験はキリストに対してだけ責任を負うものであり、キリストが信徒と認めた人々とは関係がないという考えをもっている。イエスは罪びとの友であり、その心は彼らの悲哀に動かされる。彼は天においても地においてもいっさいの権威を持っておられるが、人々の教化と救いのためにご自身がお定めになった方法を尊ばれる。イエスは、ご自身が世に対する光の通路と定められた教会に、罪びとを導かれるのである。(患難から栄光へ上巻128)

 キリストが昇天された時、このお方はご自分の弟子たちに、教会とあらゆる利益を聖なる信任として残された。教会の働きは、牧師や数人の指導者たちに負わされるべきではない。各教会員は、あらゆる時にあらゆる状況下において、主の御事業の最善のために働くという厳粛な契約を主とかわしたということを感じるべきである。各自は一部の役割を果たし、一部の重荷を負うべきである。すべての教会員が、個人的な責任を感じるならば、霊的な事柄においてさらに大きな達成がなされるのである。彼らの上に置かれている厳粛な責任の重荷は、彼らが頻繁に力と恵みを神に求めるように導くのである。

 教会の真価は、立派な告白や教会員名簿にのっている名前によってではなく、教会が実際に主のためにしていることによって、また忍耐強い忠実な働き人の数によってはかられる。個人的な関心と無私の努力とは、キリストの働きのために説教や教義よりももっと多くのことを成し遂げる。(福音宣伝者p200)


聖なる使命を委ねられている


 キリストの教会は人に尽すための組織であって、その標語は奉仕である。(ミニストリー・オブ・ヒーリング120)

 教会は人類救済のために神がお定めになった機関である。教会は奉仕するために組織された。その使命は世界に福音を伝えることである。教会を通して神の満ちあふれる豊かさを世界に反映させることが、神のはじめからのご計画であった。暗やみから驚くべき光に招き入れられた教会員たちは、神の栄光をあらわさなければならない。教会はキリストの恵みに富んだ宝庫であり、教会を通して神の愛がついには「天上にあるもろもろの支配や権威」に対してさえも十分明らかに示されるのである(エペソ3:10)。(患難から栄光へ上巻1)

 各教会員は主のために何かの方面に従うべきである。ある者は他人ほどできないにしても、世界に広がっている病気や苦難の流れを押し返すために、自己の最善を尽さなければならない。どうして始めるかを教えられさえすれば多くの人は喜んで働く。彼らには教えと励ましが必要である。(ミニストリー・オブ・ヒーリングp121)

 教会が組織されると直ぐに、牧師は教会員を働きにつかせなさい。彼らはどのようにして首尾よく働くことができるかを教えられる必要がある、牧師は説教するよりも、教育するためにもっと時間を捧げるべきである。牧師が、受けた知識をどのように人々に与えたらよいかを教えるようにさせなさい。(教会への証7巻p20)

 真理を信じていると長い間告白してきた兄弟姉妹方、わたしは一人一人にあなたの働きは、天があなたに与えた光と特権と機会と調和してきただろうかと尋ねる。これは厳粛な質問である。義の太陽は教会の上に昇ったのであるから、教会の義務は輝くことである。前進することはどの魂にとっても特権である。キリストにつながっている者は、恵みと、神の御子を知る知識のうちに成長し、一人前の高さにまで達する。真理を信ずると主張する人が、学び働く能力と機会を活用していたら、彼らはキリストのうちにあって強い者となっていたであろう。彼らの職業が、百姓であろうと、機械工であろうと、教師であろうと、牧師であろうと、何であろうと、もし全的に神に献身するなら、天の主のために有力な働き人となるのである。(教会への証6巻p423)

 天使たちは彼らの仕事をしているが、わたしたちは何をしているだろうか。兄弟姉妹方よ、神は今の時をいかして用いるようにと命じておられる。神に近づきなさい。あなたの内にある才能を発揮させなさい。わたしたちの信仰の理由に親しむ機会のあった人々には、今こそこの知識を効果的に用いさせよう。(ヒストリカル・スケッチp288)

 ちょうどあなたがたが暗黒にいた時、あなたがたのためになされたように、真理を知らない人々のためになされる仕事がある。眠り、何もせず怠惰になるには遅すぎる。家の主人であられる神はひとりひとりに、仕事を与えておられる。後退するのでなく、前進しよう。われわれには日々新たな改心が必要である。われわれは、多くの魂を救う器となれるようわれわれの心に脈打つイエスの愛が必要である。(レビュー・アンド・ヘラルド1880年6月10日)―クリスチャンの奉仕p128

 救いのよき音信をひろめるために働くことによって、わたしたちは救い主に近づかされるのである。(ミニストリー・オブ・ヒーリング73)


働く教会は祝福された教会である


 各教会員は、委ねられたタラントの責任を持っている。そしてその責任を成し遂げるためには、勤勉に、忍耐深く、キリストの霊をもって指導を受ける必要がある。この働きは主に牧師に依存しているが、彼の働きはわずかしかなされていないので、神はそれをお受入れになることができないし、それはこのお方の目的を達成することもできない。一人一人の教会員が最高の奉仕をすることができるためには、能力が訓練されなければならない。教会が生きて働く教会となる時、聖霊は彼らの心からの求めの応答として与えられる。そうして新しい興味によって神のみ言葉の真理に注意が向けられ、それは天上の宮廷からの啓示として探求される。キリストに関する霊感のすべての宣言は、このお方を愛する者の魂の奥深くに根付くのである。妬み、嫉妬、邪推は止む。聖書は天からの憲章とみなされる。その研究は思いを夢中にさせ、その真理は魂を楽しませる。今は魂が一度もこのお方の愛を経験したことがないかのように繰り返されている神のみ約束は、その時、心の祭壇で輝き、神の使命者の唇からの燃える言葉となって出てくるのである。彼らはその時、反駁することのできない熱心さで魂に嘆願する。その時、天の窓が開いて、後の雨が下るのである。キリストの弟子たちは愛によって一致する。(レビュー・アンド・ヘラルド1890年2月25日)

 真に改心したすべての魂は、他の人々を誤りという暗闇から、キリスト・イエスの驚くべきみ光に招き入れたいと熱心に願うのである。栄光によって全地を明るくする神の御霊の大いなる降下は、神との共労者とは何を意味するかということを経験によって知っている啓発された民が現れるまでは来ないのである。わたしたちがキリストへの奉仕に真心から献身するとき、神はご自分の御霊をはかり知れないほど注がれることによってその事実を認められる。しかし、教会の大部分の者が神との共労者となるまでは、これは実現しない。神は、利己心と自己満足が明白な間、カインの「わたしが弟の番人でしょうか」という答えを出すような精神が充満している間は、ご自分の御霊を注ぐことがおできにならない。(レビュー・アンド・ヘラルド1896年7月21日)

 キリストは聖霊の賜物をご自分の教会に約束されたが、その約束は、最初の弟子たちと同じようにまたわれわれのものである。しかしほかのすべての約束と同じように、それは条件つきで与えられている。主の約束を信じ、これをわがものと主張する人は多い。彼らはキリストについて語り、聖霊について語るが、何の益も受けない。彼らは天来の力によってみちびかれ、支配してもらうために魂をあけわたそうとしない。われわれが聖霊を用いることはできない。み霊がわれわれを用いてくださるのである。み霊を通して、神は民のうちに働き、「その願いを起させ、かつ実現に至らせ」てくださるのである(ピリピ2:13)。しかし多くの者はこれに従おうとしない。彼らは自分で自分を支配したいのである。これが、彼らが天の賜物を受けない理由である。みたまは、へりくだった心で神に仕え、そのみちびきと恵みを待ち望む者にだけ与えられる。神の力は彼らが求め、受けるのを待っている。この約束された祝福を信仰によって求めるときに、ほかのすべての祝福は次々と与えられる。それはキリストの恵みの富にしたがって与えられるのであって、主はどの魂にもその受け入れる能力にしたがっていつでも与えてくださる。(各時代の希望下巻158)


忠実さ、働き、勝利


 キリストは、ご自分が贖われ、買い取られた所有である者たちから多くの栄光を得るために、ご自分の教会に十分な能力を与えられた。キリストの義を授けられている教会はこのお方の保管所であり、その中には完全で最後の提示のうちに現れることになっている憐れみの富、愛と恵みがある。御父の愛が愛するひとり子であるお方に対してと同じように、わたしたちに対しても大いなる愛であり、わたしたちがこのお方がおられる所にいることができ、永遠にキリストと御父といることができるというこのお方のとりなしの祈りの宣言は、天の軍勢にとって驚くべきことであり、彼らの大きな喜びである。豊かで完全で十分なこのお方の聖霊の賜物は、このお方の教会にとって、黄泉の力も打ち勝つことができないほどの火の壁のようなものであるべきである。彼らの汚れのない純潔と欠点のない完全の内に、キリストはご自分の民をご自分の苦しみと屈辱の報い、愛、またご自分の栄光を補足するものとしてご覧になられる。キリストは、すべての栄光が輝き出る大いなる中心である。「小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである。」(神のむすこ娘p356)


 今日、破れ口に立ち、まがきを設け、久しく荒れすたれたる所を興している教会は世界でただ一つしかない。……(信仰によってわたしは生きるp305)


 耳を傾け服従する者たちは、天の主の保護の下で安全な道を歩く。キリストの力によって、彼らはすべての敵に勝利する。神に対して忠実で無私の奉仕をする者たちは、エホバに対する従順によって働く時、彼らの一致によって祝福される。……
 イエスを愛するすべての者は、このお方を知り、このお方の御心に従うことができるように聖書を探求する。キリストは悩める時のいと近き助けとなられる。それは神の力が忠実な者に約束されているからである。このお方は、真実なすべての者に対して、ご自分の御言葉を成就して下さる。キリストはご自分の民の勝利によって勝利される。それゆえに、このお方が教会に豊かな賜物を与えてくださるように、このお方の道を整えなさい。(レビュー・アンド・ヘラルド1902年4月8日)

 神の教会であらわされる神の善や恵み、また正義と愛を見つめることによって、世が神のご品性の概念を持つようになるべきである。そして神の律法が生活のうちにこのようにあらわされる時、神を愛し、畏れ、神に仕える者たちが世にいる他のすべての人々にまさってすぐれていることを世でさえ認めるであろう。主はご自分の民一人一人に目を注がれる、このお方は一人一人に関してご自分の計画をお持ちである。ご自分の聖なる掟を実行するすべての者が、優れた民となることがこのお方の目的である。(教会への証6巻p12)

 神は地上に忠実な民をお持ちである。主の尊い者たちの群れは、今は明白に尊ばれ重んじられてはいない。今、彼らは隠されているが、間もなく第三天使のメッセージの宣言によって彼らを明らかにするのである。(手紙254, 1899)―原稿20巻p10

 終わりは近い。夜、盗人がまもなく近づくように、ひそかに、いつの間にかわたしたちに近づいている。わたしたちが他の人のように、これ以上眠るのではなく、よく見張って、酔っていない状態に主がしてくださるように。真理は間もなく荘厳に勝利し、神と共なる働き人になるのを今選ぶ者は、真理と共に勝利する。時は短い、まもなく誰も働くことのできない夜が来る。(教会への証9巻p135) アァメン


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