「地上の力は神の教会を倒すことができない」 パルメナス・N・シュリマ(タンザニア)

 終りの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべての国はこれに流れてき、多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。(イザヤ2:2,3)

 神を愛するすべてのクリスチャンは、このお方の教会に関する事実を研究することに対して、非常に興味を持っています。神のみ言葉と預言は、このお方が教会―各時代を通じて悪魔の攻撃の的となってきたただ一つの教会―を持っておられるということをはっきりと示しています。世の創造からわたしたちの時代までの歴史を遡る時、わたしたちはサタンが教会を全滅させるために命がけの戦いをしてきたことが分かります。しかし変わることのないわたしたちの神の力強い保護は、悪魔の計画を阻みました。このお方の大いなる目的と約束に従って、神のみ手は「黄泉の力」がご自分の民に打ち勝つことができないように守られました(マタイ16:18)。

 このお方のみ言葉は、大いなる敵が天から追放されてから、彼は教会を滅ぼすためにあらゆる破壊的な努力をしているということをわたしたちに教えています。「龍は、自分が地上に投げ落されたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。」(黙示録12:13)神の教会が今何に直面しているか、また将来何に直面するかということを理解するために、この大きな争いを見てみましょう。「堕落した世界は全宇宙と地上の勢力がたえず目撃してきた大闘争の戦場である。この世界は善と悪、天国と黄泉の間の大きな戦いに決着をつける場として指定された。すべての人間がこの闘争で役割を演じる。だれも中立でいることはできない。」―(原稿56, 1899)彼を掲げよp253


教会の定義


 「霊的な意味において『教会』は、同じ信仰を告白し同じ信仰を生き、一つの体の内に一致している、キリストの信者全体を意味している。それは世界中のすべての信者を含んでおり、それゆえに世界的教会とも呼ばれるのである。それに加えて、『教会』という言葉は、一つの会衆、すなわち地元の教会に言及している。」―教会の秩序p15

 この定義は「一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」(ヨハネ10:16)というキリストの教えと一致しています。また使徒パウロはこのように言いました。「からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。」(エペソ4:4-6)

 すべてのクリスチャン教会とグループが全世界的教会を構成しているという教えは、聖書的ではなく偽りです。それは、神が一つの特別な教会を持っておられるという聖書的教えから思いをそらすためのサタンの計画的な偽りです。この特別な教会は次の特徴によって特定することができます:

•それは神の戒めとイエスの信仰を守る。黙示録14:12

•それは第三天使のメッセージを宣べ伝え、第七日の安息日を守る。黙示録14:6-11

•それは聖書と預言の霊に示されている通りに、現代の真理の基礎的原則を教えることによって、信仰の一致を維持する。黙示録12:17

•それは神の栄光のために各自の霊的、精神的、身体的力を保つために、健康改革と衣服改革の標準の重要性を強調する。コリント第一10:31; コロサイ3:17

•それはキリスト我らの義のメッセージを通して、高い道徳的標準を高める。ローマ3:23-26; 5:1, 2; エペソ2:5-10

•それは神の律法に反する戦争に参加することと、世の政治に参加することに反対する。ヨハネ17:14-17

•それはエキュメニカル運動または堕落した教会、労働組合、アドベンチスト―(自給伝道)―と協力することに反対する。それは神がご自分の教会に委ねられた特徴、責任、特権を考慮することによって良心的にそうするのである。ペテロ第一2:9, 10;コリント第二6:14-18

 以上の特徴は神の民にとっての霊的力の源であり、同時に大いなる敵の攻撃に対する力強い武器となるのです。

 「神は虐げられた律法を掲げ世の罪を取り除く神の小羊を世に示す教会をこの地上に持っておられる。……
 今日、破れ口に立ち、まがきを設け、久しく荒れすたれたる所を興している教会は世界でただ一つしかない。……
 神の戒めを守りイエスの信仰を守り、この最終時代に義の標準を高め、残りの民についての描写を成就している唯一の民に対して抗議することについてすべての者は注意するように。
 神は真理を教え、神の律法を立証することにおいて非常に優れており、誰にも劣ることのない、はっきり区別された民、教会をこの地上に持っておられる。」―牧師と福音宣伝者への証p50, 58


神の教会を攻撃するために悪魔が用いる武器


 サタンは、教会とその信者を攻撃するための数え切れない方法と巧みな武器を持っています。以下は、彼が自分の犠牲者を罠にかけるのに成功した方法です。

•公然の背教―神の聖なる律法の違反。ヘブル3:12, 13; 1 ヨハネ3:4•お金に対する愛、自慢、誇り、冒涜、不従順、忘恩、聖潔を怠ること、神と同胞を愛することを怠ること、許しのなさ、中傷、自制のなさ、残忍、良いことを軽視すること、裏切り、信心深い様子をしながらその実を捨てること。テモテ第二3:2-5

•迫害、苦悩、あらゆる苦しみを与えること。テモテ第二3:11, 12

•この時代の呪いである性的不道徳。テサロニケ第一4:3-6

・教会、仕事場、家庭、また社会における争い。ヤコブ4:1, 2

•憎しみ、嫉妬、妬み、怒り、悪、放縦、偶像礼拝、まじない、分裂、分派、殺人、泥酔、あらゆる種類の利己心―聖書が肉の働きと呼んでいるもの。ガラテヤ5:19-21

•不品行な者、偶像を礼拝する者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、そしる者。コリント第一6:9, 10

•偽善者、見せかけ。ユダ4

•パリサイ人の誇りと忘恩の精神、言行不一致の行動、形式主義。マタイ23:13, 15

•憶測の罪。詩篇19:13, 14; 申命記17:12, 13

•世俗的流行、飾り、宝石、高価な衣服。イザヤ3:16-24; 1 テモテ2:9, 10

•背教、偽りと誤りの教え、教会の秩序と組織に対する反逆。エペソ 4:14
 
 上記の預言の霊の記述にあるように、各自は善と悪、キリストとサタンの大争闘に関わっています。決心や行動をする前に一般的に真剣に考慮されない一つの点は、わたしたちのほとんどが何らかの形で、積極的に敵の側におり、全能の神の表された御心とこのお方の教会に抵抗しているということです。わたしたちがこのお方の戒めに違反したり、上記にある罪の一つでさえも犯す時―悔い改め、告白し、全心で神を求めない限り―、わたしたちはサタンの行為を行うことによって確実に神の敵になるのです。


保護の力強い確証


 「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。(ルカ12:32)

 「キリストの教会は、弱く欠点があるかもしれないが、それは地上にあってこのお方が最高の関心を寄せられる唯一の対象であることを、わたしたちは覚えるべきである。このお方は教会を、配慮を持って絶えず見守っておられ、聖霊によって力づけて下さる。」―(原稿155, 1902年)

 「神の保護に信頼しなさい。このお方の教会は教えられるべきである。教会は弱く欠点があるにもかかわらず、それはこのお方の最高の関心の的である。」―(手紙279, 1904)セレクテッド・メッセージ2巻p396

 「この世界において、教会ほど神にとって愛しいものはない。このお方がそのような熱情的な関心を持って保護されるのは他にない。」―教会への証6巻p42

 「教会は特別の働きをするように神の力が授けられているのである。そして、もし教会が神に忠実で、神の戒めに服従するならば、教会の中に卓越した神の力が宿るのである。もし教会がその忠誠の誓いに忠実であるならば、どんな権力も教会に対抗して立つことはできないのである。敵の勢力は、もみがらがつむじ風に立ち向かうことができないように、教会を圧倒することはできないのである。」―教会への証8巻p11

 「主は定められた代理人、すなわち迫害、闘争、暗黒を通じて生き延びた教会を持っておられる。イエスは教会を愛され、そのためにご自分を与えられ、教会がこの世界の堕落した影響の只中で固く立つことができるために、教会を満たし、精錬し、高尚にし、高められる。神によって任命された人々は、教会がサタンの悪の計略によって倒されることなく、人々の間で神の栄光を促進するために世で立つことができるように、熱情的な配慮と油断のない根気をもってそれを見守るために選ばれた。」―牧師と福音宣伝者への証p52, 53

 「あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのであるから、あなたがたを捕えていった国々の民に、その栄光にしたがって、わたしをつかわされた万軍の主は、こう仰せられる、」(ゼカリヤ2:8)



恐れる必要はない


 「わたしたちは、主がわたしたちを導かれた方法と、過去の歴史におけるこのお方の教えを忘れない限り、将来のために恐れることは何もない。」―エレン・G.ホワイト,ライフスケッチp196

 過去は、将来におけるわたしたちの確信を堅固にします。預言におけるそれぞれの出来事が成就され、またわたしたちの時代において成就されつつある明確さは、将来の出来事も確実に成就するということを保証しています。神がご自分の民を幾世紀に渡って導かれ守られ悪の力の計画を覆された素晴らしい方法は、今戦っている教会が、勝利する教会になるまで絶えず導かれるということを示しています。それは剪定の激しい過程を通過するのです。
 大いなる最終日にわたしたちがこの世から救われる前、また恩恵期間が終わる前に、人々が福音の備えをまだ受け入れることができる間に、以下の預言された出来事が起こります:144,000人の印する働き、日曜休業令、ふるい、後の雨の降下、大いなる叫び、神の働きの終結、恩恵期間の終了に続く最後の七つの災い。(これらの出来事がここにある順番通りに起こるということではありません。このうちのあるものは同時に起こります。これらの出来事の間、神の民は激しく試みられ試されます。
 これらの出来事は、初代の困難と迫害をもたらします。黙示録13:11-17には、恩恵期間が終わる前に日曜休業令の下に迫害が起こることを預言しています。そしてその後、特にヤコブの悩みの時の間、さらに激しくなります。
 「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」(ヘブル12:1, 2)
神の民(ペテロ第一5:6-10; ヤコブ4:7, 8)は、以下のようにする時力づけられます:

• このお方の聖なる定めを守る。(申命記4:5-8)

• 表された御心に対して真の愛を持つ。(申命記6:4, 5; マルコ12:30)

• このお方に忠実で真実になる。(ヨハネ4:24; エペソ6:16)

• このお方に献身し自分を任せる。(エペソ6:13, 14)

• このお方のために勤勉に熱心に証する。(エペソ6:8)

• 絶えず祈り瞑想する。(テサロニケ第一5:17, 18; エペソ 6:18)

 わたしたちは悪魔との戦いにおいて、天の武器を用いる必要があるということを覚えるべきです。サタンとの戦いにおいて、イエスは敵の武器や敵の精神を一度たりとも用いられませんでした。このお方は天において、荒野において、またカルバリーの十字架において戦われました。すべての場合において、このお方は悪魔に勝利されました。しかしこのお方はどのような武器を使って悪魔に打ち勝たれたのでしょうか。その答えは、神のみ言葉、祈り、憐れみの言葉です。このお方は、「み心が行われますように」と言われました。わたしたちは天の武器、天の精神、天の方法をわたしたちの霊的戦いにおいて用いる訓練をする必要があります。それはわたしたちに、悪魔に対しての決定的な勝利を与えます。わたしたちはヨシャパテ王の言葉に従って、次のように大胆に言うことができます。「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられる、『この大軍のために恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである。この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない。ユダおよびエルサレムよ、あなたがたは進み出て立ち、あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい。恐れてはならない。おののいてはならない。あす、彼らの所に攻めて行きなさい。主はあなたがたと共におられるからである』」。(歴代志下20:15,17)


迫害と大きなふるい


 「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」テモテ第二3:12

 「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10-12)

 パウロの言葉は、文字通り成就する。『キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける』(テモテ第二3:12)。真理の擁護者たちが、日曜安息日を尊ぶことを拒むとき、投獄される者もあれば、追放される者もあり、また奴隷として扱われる者もいる。人間的に考えて、今そうしたことはありえないように思われる。しかし、神の霊の抑制が人々から除かれ、彼らが神の戒めを憎むサタンの支配下に陥るとき、異様な事態が展開するのである。神に対する恐れと愛が取り除かれるとき、人の心は、はなはだ残酷になりうるのである。

 「あらしが迫って来るとき、第三天使の使命を信じると公言していながら、真理に従うことによって清められていなかった多くの者が、その信仰を棄てて反対の側に加わる。」―大争闘下巻377

 「大きなふるいが始まった。そしてこれは続いていく。そして、真理のために勇敢に屈することなく立ち、神と神の働きのために犠牲を払うもの以外はみなふるわれる。」―初代文集118

 「教会員は各々試みられ、ためされる。彼らは真理のためにあかしを強要されるような環境に置かれる。多くの者は呼び出されて、恐らく他の人とは別々に一人で会議や法廷で話さねばならなくなる。……
 間もなく、神の民は激しい試みによって試される。そして今は本当で真実に見える人々が、卑金属であることが判明する。反対によって力づけられ堅くされる代わりに、臆病にも反対者の味方になるのである。……
 大きな困難と混乱の時がすみやかに近づいている。天使の衣をまとったサタンが、できることなら選民をも惑わそうとする。多くの神々や多くの支配者が起こる。あらゆる教理の風が吹き荒れる。『偽りの知識』に最高の忠誠を捧げた者たちは、その時、指導者にはならない。知識、才能、タラントに信頼してきた者たちは、その時兵卒の頭に立つことはない。不忠実であることを明らかにした者たちは、その時、群れを任されることはない。最後の厳粛な働きにおいて、偉大な人々が活動することはまれである。彼らはうぬぼれが強く、神に頼ることがないので、神は彼らを用いることがおできにならない。主は、ふるいの時、また試みの時に明らかにされる忠実な僕をもっておられる。」―教会への証5巻p463, 136, 80, 81

 「わたしは今ふるいの時にあることを見た。」―教会への証1巻p429
 「神は今ご自分の民をふるわれ、彼らの目的と彼らの動機を試しておられる。多くの者はもみがら―(何の価値もない)のである。」―教会への証4巻p51

 「偉大な光と尊い特権を持っていたけれども、それを活用しなかった者たちは、何やかやと言い繕って、わたしたちから離れる。彼らは真理の愛を受けていなかったので、敵の惑わしを受け入れるのである。彼らは惑わす霊と悪霊の教えに心を留め、信仰から離れる。しかし一方では、迫害の嵐が本当にわたしたちに襲いかかる時、真の羊は真の羊飼いの声を聞き分ける。失われた者を救うために無我の努力がなされ、おりからさまよい出ていた多くの者が偉大な羊飼いにつき従うために戻ってくる。神の民は共に集まり、敵に対して共同戦線を張る。危難の時が近づくにつれて、主権争いが止む。誰がもっとも偉大であるかという論争がなくなる。」―教会への証6巻p400, 401


ラオデキヤの教会における預言された改革の経験


 1914年の改革は、セブンスデー・アドベンチスト教会に大きなふるいをもたらしました。それは将来残りの民が経験することの実例を与えました。


• 神の民は試みられ、試練を受け、試されなければならない。主な試練は、人の戒めに比例して神の戒めに忠実であるかを試す試練。

• 神の民は、リバイバルと改革を経験していない限り、試練に耐えることはできない。教会で容認されていた背教は、公の背教と神の戒めの違反を起こす。

• 神の教会を構成する真の忠実な残りの民を持つために、ラオデキヤ教会の期間におけるふるいの初めの段階は1914年に神が許されました。これは98%が本来の信仰の原則から離れ、2%が残るという結果に終わりました。

 しかし、残りの民がまだ大いなる敵と彼の手下と戦っているので、黙示録12:17の預言は龍が純潔な女の残りの子ら、すなわち今日のわたしたちの教会に怒りを発するということを示しています。この戦いは、もう一つの最後の振いをもたらし、立つ者たちは真の忠実な者と呼ばれます。これは、今日のわたしたちにつながります。直ぐ前にある恐るべき出来事と戦いを考える時、わたしたちが神に自分自身を捧げ完全に明け渡すことが緊急に必要です。神に自分の命を完全に明け渡し、恵みにおいて絶えず成長することだけが、近い将来にある大きな危険から守ることができ、イエスの出現される時、神に献身した男女を、栄光に輝く勝利のために一致させることができるのです。

 預言者アモスは次のように預言しました。「見よ、わたしは命じて、人がふるいで物をふるうように、わたしはイスラエルの家を万国民のうちでふるう。ひと粒も地に落ちることはない。」(アモス9:9)

 イエスは非常に危機的な時に、ペテロに言われました。「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。……」(ルカ22:31, 32)

 神の一人一人の子供は個人的にまた教会として、彼らの信仰の非常に特別な試練に直面します。この試練は「ふるい」と呼ばれています。これは過去にも起こったことであり、最後のふるいの終わりに繰り返されます。敵は自分の時が短いことを知っており、できるだけ多くの者たちを滅ぼすためにさらなる悪意をもって働きます。

 教会歴史の最終段階において、教会員の間で大きなふるいが起こります。この基本的な理由は以下のとおりです。

• 宗教的不注意と無関心、一般的な背教のため。

• 日曜休業令が強制される時、迫害に直面することを恐れるため。

• 悔い改めとリバイバルと改革を要求するラオデキヤ人に対するキリストのメッセージを拒否するため。

• 偽りの教えとゆがめられた教理に従うことを選ぶため。

• 現代の真理の敵の側につくため。

 「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」(コリント第一10:12)。神の民は勝利します。しかしこれは真に神に献身した者たちだけが経験します。

 「わたしは、深い信仰と苦悶の叫びをあげて、神に嘆願している人々を見た。彼らの顔は青ざめ、深い憂いの色を帯びていて、彼らの内的苦闘を表していた。その表情には、堅忍不抜の精神と非常な熱心さとがあらわれていた。彼らの額からは、大きな汗のしずくが落ちた。彼らの顔には、時々、神の嘉納のしるしが輝くのであったが、また、元の同じ厳粛で熱心と憂慮に満ちた表情にもどるのであった。」―初代文集437

 「サタンは欺くために奇跡を起こす。彼は自分の力を最高のものとする。教会はほとんど倒れそうに見えるが、倒れない。シオンにいる罪人たちがふるわれて取りだされる―尊い麦からもみ殻が分けられる一方で、教会はそのまま残る。これは恐るべき試練であるが、それは行われなければならない。」―セレクテッド・メッセージ2巻p380


わたしたちの霊的状態を再吟味する


 「教会の霊性はどこにあるのだろうか。信仰と聖霊に満ちた人々はどこにいるのだろうか。わたしは『ああ神よ、教会を清めてください』と祈る。……
 神はご自分の民をふるわれる。このお方は清くて聖なる教会を持っておられる。わたしたちは人の心を読むことができない。しかし主は、教会を清く保つための方法を与えてくださった。神の民と共に歩むことのできない堕落した人々が起った。彼らは譴責を軽蔑し、正されることがない。彼らの戦いは、不義な戦いであることを知る機会があった。彼らは自分たちの過ちを悔い改める時間があったが、彼らにとって自己があまりにも愛しくてそれに死ぬことができなかった。彼らはそれを養い、それは強く成長し、彼らは神がご自分のために清められている信頼された民から離れた。わたしたちすべての者は、教会を救うための道が開かれたことを神に感謝する理由がある。なぜなら、もしこれらの堕落した偽善者たちがわたしたちと共に居続けたなら、神の怒りがわたしたちの上に下されるようになったからである。」―教会への証1巻p99

 「神は、霊と真理とによってこのお方に仕えるすべての者のために、愛と喜びと平安、また栄光に満ちた勝利を用意しておられる。このお方の戒めを守る民は、奉仕のための準備をして絶えず立っているべきである。彼らは、さらなる恵みと力と聖霊の働きのさらなる知識を受けるべきである。しかし多くの者は、神が彼らに注ごうとして待っておられるみ霊の尊い賜物を受ける準備ができていない。彼らは、良き働きに熱心な神の選びの民として認められるために、与えられた賜物を通して、天からの力を求めてさらなる高さに達していない。……
 徹底的な改革が行われるべき時が来た。この改革が始まる時、祈りの精神がすべての信者を動かし、不和と争いの精神を教会から消し去る。クリスチャンの交わりのうちに歩んで来なかった者たちは、互いに近づく。正しい側で働いているメンバーは、他のメンバーが自分たちと一致して聖霊の啓示を嘆願するように導くのである。すべての者が御霊の思いと調和するので、混乱がない。信者同志を隔てている壁は壊され、神の僕は同じ事を語る。主はご自分の僕と協力される。すべての者は和合して、キリストがご自分の僕に教えられた祈りを祈るのである。『御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように』(マタイ6:10)。」―教会への証8巻p247, 248, 251

 神が憐れみによって、その経験をわたしたちに与えてくださるようにと願い、お祈りします。 
 アァメン 

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