ダニエル書にある天来のメッセージ8〜13

第8課                   安息日2011年2月19日

預言の夢(続)



「わたしは……とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない……。」―イザヤ45:1


銀の胸と腕


1.金の頭の下は何でしたか。像のこの部分はどの王国を表していましたか(ダニエル2:32中句、39上句)。

 「次に起こる王国、メド・ペルシャは大いなる像の胸と腕に当てはまる。それは前の王国よりは劣るものであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p51

2.他のどの預言者が、バビロンの陥落と、新しい国の力が起こることを預言しましたか(イザヤ13:17, 18; エレミヤ51:11)。

 「バビロンは、民の保護者となるどころか、かえってごうまんで残酷な圧制者となった。イスラエルの統治者たちの残酷とどんよくを描いている霊感の言葉は、バビロンの没落をはじめ、世界がはじまって以来多くの他の帝国が没落した真因をつぎのように明らかにしている。……」―教育p208


捕囚に帰郷の自由が与えられる



3.主は、バビロン帝国の征服者をなんと呼ばれましたか(イザヤ44:28; 45:1)。


 「霊感はクロスが生まれる一世紀以上も前に彼の名を挙げて、彼が不意にバビロンを占領して捕囚の民を解放する道を開き、実際にどんなことをするかを記録させたのである。イザヤは次のように語った。『わたしはわが受膏者クロスの右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、……とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主はその受膏者クロスにこう言われる、「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。」(イザヤ書45:1-3)』」―国と指導者下巻p159,160


4.いつクロスは、ユダヤ人が自分の故郷に戻る許可を与えましたか。すべての捕虜たちはこの機会を活用しましたか(エレミヤ25:12; エズラ1:1-4; 2:1, 64)。

 
 「王が自分の生まれる百年以上も前に預言された、バビロン占領の模様についての言葉を見たときに、また……宇宙の王が彼に言われた言葉を読んだときに……彼は深く感動した(イザヤ書45:5, 6, 4, 13)。そして自分に命じられた任務を遂行しようと決心したのである。
彼はユダヤの捕囚たちに、自由を与えようとした。そして主の神殿の再建を援助しようとしたのである。」―国と指導者下巻p165,166(この命令は紀元前536年に与えられました。)
 「クロス王の恵み深い処置の下で、約五万人の捕囚の民が帰還命令を利用した。しかしこの人々は、メド・ペルシャの領内に広く離散した幾千幾万の人々と比較するならば、ほんのわずかの残りの民であった。イスラエルの大多数の民は、帰国の旅と彼らの荒廃した町々や故郷を再建する困難を経験するよりは、むしろ捕囚の地にとどまることを選んだのであった。」―国と指導者下巻p203 


助けとそうでないものを見分ける


5.都と宮を再建設するにあたり、神の民を弱めるために誰が援助を提供しましたか。見たところ善意から出たこの申し出は受け入れられましたか(エズラ4:1-3)。


 「バビロンから帰ることを選んだのは、ほんのわずかの残りの者であった。そして今、彼らが自分たちの力ではとうてい成し遂げられそうもない事業に着手するに当たって、一番近くにいる隣人が援助を申し出たのである。サマリヤ人は自分たちも真の神を礼拝していると言い、神殿の務めに関連した特権と祝福にあずかりたいという希望を表明した。」―国と指導者下巻175

6.民の指導者は、なぜこの申し出を受け入れることができませんでしたか。これらの見せかけの者たちの真の品性は、どのように明らかにされましたか(申命記14:2; エズラ 4:4, 5)。


 「しかしもし、ユダの指導者たちがこの援助の申し出を受け入れたならば、彼らは偶像礼拝が侵入する扉を広く開くことになるのであった。彼らはサマリヤ人に、誠意がないことを見抜いたのである。彼らは、これらの人々と同盟して得られる援助は、主の明白な命令に従って受けることができる祝福と比較するならば、全く無に等しいことを自覚したのである。…
このたび神の神殿の廃虚の前に築かれた祭壇において、主に再献身を誓った人々は、神の民と世俗との間には、常にはっきりした区別がなければならないことを自覚したのである。彼らは、神の律法の要求するところを知っていると言いながら、それに従わない者たちと、同盟を結ぶことを拒否したのである。……
 われわれは神を恐れない人々と同盟を結んで、原則を曲げることはできない。……
彼らは虚偽を伝えて、疑念を持ちやすい人々の心に疑惑を抱かせた。」―国と指導者下巻p175,176,178

7.境界線について、今日のわたしたちにとって適切な霊感を受けた警告は何ですか(コリント第一10:11; コリント第二6:14)。


 「最も恐るべきものは、神の働きに公然と反対する敵ではない。ユダとベニヤミンの敵のように、なめらかな言葉と美しい表現を用いて、いかにも神の民と友好的同盟を求めるかのように近づいてくる者たちが、もっと大きな欺瞞力を持っている。このような人々に対して、ひとりびとりは十分警戒して、注意深く隠された巧みなわなに、気づかずに捕らえられることのないようにしなければならない。」―国と指導者下巻p177
 「『不信者と、つり合わないくびきを共にするな』(コリント第二6:14)という主の命令は、クリスチャンと不信仰な者との結婚についてだけに言及しているのではなく、関係者が精神と行動の調和が必要とされる密接な交わりに入れられるようになるすべての同盟関係について言っているのである。」―セレクテッド・メッセージ2巻p121


個人的な研究のために

• コリント第二6:14-18
• SDAバイブル・コメンタリー2巻p1001,(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1881年6月2日)





第9課                   安息日2011年2月26日

メド・ペルシャ帝国におけるユダヤ



 「そしてユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイおよびイドの子ゼカリヤの預言によって建て、これをなし遂げた。彼らはイスラエルの神の命令により、またクロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって、これを建て終った。」―エズラ6:14


反対


1.戻ってきた人たちは、熱心に何をし始めましたか。彼らの敵が引き起こした困難によって、宮の建設の働きはどうなりましたか(エズラ3:8, 10, 11; ハガイ 1:1, 2)。


 「彼らの敵の反対は、強力で頑強であった。そして建設者たちは、徐々に勇気を失っていった。ある人々は基礎の石が置かれたときに、多くの者が工事に対する不信をあらわしたことを、忘れることができなかった。そして、サマリヤ人がますます大胆になるにつれて、多くのユダの人々は、果たして再建の時が来たのかどうかと疑問を抱いた。多くの働き人たちは失望落胆して家に帰り、普通の職業についた。」―国と指導者下巻p179


主からの励まし


2.この危機において、主は誰を起こされましたか。主は彼らを通してどのようなメッセージを与えられましたか(エズラ5:1; ハガイ1:3-11)。


 「しかしこの暗黒の時においてさえ、神に信頼する者にとって、希望がなかったわけではなかった。預言者ハガイとゼカリヤは、この危機に当面するために立てられた。これらの任命を受けた使命者たちは、人心を揺り動かす証言によって、人々に彼らの苦難の原因を明らかにした。物質的繁栄がなかったことは、まず神を彼らの第一の関心事にすることを怠った結果であると、預言者たちは宣言した。もしイスラエルの人々が、神の家を建てることを彼らの第一の仕事として、神を崇め、神に対する敬意と礼儀を示したならば、彼らは神の臨在と祝福を受けたことであろう。……
 一年以上にわたって神殿はなおざりにされ、ほとんど見捨てられてしまった。人々は自分たちの家に住んで、物質的に繁栄しようと努めたが、その状態は哀れなものであった。彼らはどんなに働いても、繁栄しなかったのである。……
 それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、」―国と指導者下巻p180


政府からの支援


3.このメッセージは結果をもたらしましたか。ハガイの預言はいつ成就しましたか(ハガイ1:12-14; 2:6-9)。


 「何世紀もの間、ユダヤ人は、ハガイによって与えられた神の約束の成就を示そうと努めてきたが、むだであった。しかし、誇りと不信が彼らの心を盲目にし、預言者の言葉の真の意味を理解させなかった。第二の神殿は、主の栄光の雲ではなくて、肉体をとって現われた神ご自身、満ちみちているいっさいの神の徳が宿っているかたの生きた臨在によって、あがめられるのであった。ナザレの人イエスが神殿の庭で、教え、いやされたとき、『万国民の財宝(万国の願うところのもの・文語訳)』が、ほんとうに彼の神殿に来られたのである。キリストが来られたこと、ただそのことだけで第二の神殿は、第一の神殿の栄光をしのいだ。」―各時代の大争闘上巻p10,11

4.宮の再建を続けるようにとの第二の布告は、誰によってまたいつ与えられましたか(エズラ6:1-12)。



 「王はさらに、命令を少しでも変える者があるならば、厳しい罰を下すと命じた。……こうして主は、神殿完成のための準備をして下さったのである。
 この命令が出される前の数か月間、イスラエルの人々は信仰によって働きつづけた。そして神の預言者たちは、なお時機にかなった言葉によって援助を与え、そうした言葉によって、イスラエルに対する神のみこころを、働く人々の前に示したのである。ハガイの最後の記録された言葉が語られてから二か月後に、地上における神の働きについての一連の幻が、ゼカリヤに与えられた。比喩と象徴の形式によるこれらの言葉は、大いなる不安と悩みの時に与えられた。そしてそれは、イスラエルの神の名のもとに前進している人々にとって、特別の意味をもったものであった。指導者たちには、ユダヤ人に与えられた再建の許可が、今にも撤回されるのではないかと思われた。将来の見通しは暗たんとしていた。神は無限のあわれみと愛によって、ご自分の民を支え励まさなければならないことを見られた。」―国と指導者下巻p185,186
(紀元前約519年に、ダリヨスはユダヤ人に宮の建設を続けるようにとの法令を発しました。ダニエル書と黙示録の預言p208参照)


もう一つの試みとその結果


5.バビロンにまだ残っていた人々に、主は預言者を通してどのような挑戦を与えられましたか。天来の呼びかけと度重なる王の布告にもかかわらず、居心地がよいためにそこに残った人たちに何が起こりましたか(ゼカリヤ2:7; エステル記3:8-11)。



 「その間に、メド・ペルシャの国内状勢が急激に変化していた。ユダヤ人が著しく好遇されたダリヨス・ヒスタスパスに続いて、クセルクセス大王が即位した。逃れるようにという言葉に心を向けなかったユダヤ人が、恐ろしい危機に当面したのは、彼の治世においてであった。彼らは神がお備えになった逃亡の機会を利用することを拒否したので、今や彼らは死に直面させられた。……
 主はクセルクセスすなわち、エステル記のアハシュエロスの治世に、困難な時代が来ることが予見された。そして権威をもった人々の心を変えられたばかりでなく、ゼカリヤに霊感を与えて捕囚の民に帰還することを訴えられたのである。」―国と指導者下巻204,205,203

6.三度目であり最後の布告を出したのは誰ですか。この支配者は、祭司であるエズラにどのような書類を渡しましたか(エズラ6:14; 7:7, 8, 11-26)。


 「ゼルバベルとヨシュアの指導の下に、最初の捕囚の一団が帰還してから約七十年経過したときに、アルタクセルクセス・ロンギマノスがメド・ペルシャの王位についた。この王の名は一連の著しい摂理によって、聖書の歴史とかかわりがあるのである。エズラやネヘミヤが生存し活動したのは、彼の治世においてであった。紀元前457年に、エルサレム再建の第3回目で最後の布告を出したのはこの王である。その治世にエズラを指導者とするユダヤ人の一団が帰還し、ネヘミヤとその仲間たちによってエルサレムの城壁が完成し、神殿の務めが再組織され、エズラとネヘミヤによって大宗教改革が行われたのである。その長い治世にわたって、彼はしばしば神の民に好意を示し、彼が信頼し愛していたエズラとネヘミヤというユダヤ人の友人は、神が特別な仕事のために起こして任命された人々であることを認めたのである。」―国と指導者下巻p210


第二の帝国の衰退



7.何が、メド・ペルシャ帝国の陥落を招きましたか(エステル記1:1-9)。


 「王が節制の習慣を実行することによって、王者らしい威厳を保っていたならば、彼は、決してこの命令をしなかったであろう。しかし、彼の知性は大酒によって影響されて、賢明に行動する用意ができていなかった。……エステル記1章に描写されているような歓楽的な行事は神に栄光を帰さない。……
 メド・ペルシャの王座にエステルを連れてくる出来事を通して、神はご自分の民のための目的を達成するために働いておられた。多量の酒の影響を受けてなされたことが相働いてイスラエルのために益となった。」―(原稿39, 1910) SDAバイブル・コメンタリー3, p1139(この帝国は紀元前538年から331年まで政権を握っていました。)

個人的な研究のために

• ゼカリヤ4章
• ハガイ1, 2章
• 国と指導者下巻p109-219



第10課                   安息日2011年3月5日


次の帝国



 「…また第三に青銅の国が起って、全世界を治めるようになります。第四の国は鉄のように強いでしょう。」―ダニエル2:39, 40


第三の帝国


1.メド・ペルシャの次にどの帝国が続きましたか。預言はどのように成就しましたか(ダニエル2:32下句, 39下句)。


 「世の統治の継承の成就に関する霊感にみちた言葉は、少なく簡潔であった。絶え間なく変わる政治的舞台においてギリシャは台頭してきて、しばらくの間第三の世界的帝国としてすべての者の注目の的となった。
帝国の運命を決めた戦いの後に、ダリヨスは散らばっていた彼の軍隊の残存者を呼び集め、彼の王国と権力にたいする地歩を築こうとした。しかし彼は最近まで整っていた大軍の中からも、ギリシャ軍と交戦するのに十分と思えるほどは集めることができなかった。アレキサンダーの追撃が迅速だったので、ダリヨスは命からがら逃げたことが幾度もあった。」―ダニエル書と黙示録の預言p52


2.アレキサンダー大王の勝利の凱旋について何と書かれていますか。彼の早死にの原因は何でしたか。王国にとって何が結果として起こりましたか(箴言31:4, 5; 16:32)。



 「アレキサンダー大王は、彼の父親が新たに拡張したグレコマケドニアの王国を受け継いで、東方へマケドニアの領土とギリシャの文化を広げるために出発し、ペルシャ帝国を征服した。預言はペルシャに続く国としてギリシャ王国を示している。なぜならギリシャは、マケドニア帝国を形成するまで王国に結合しなかったからである。それはその時代の世界的強国としてペルシャに取って代わった。(類似した預言はダニエル7:6; 8:5-8, 21, 22; 11:2-4参照)
 ペルシャ帝国の最後に君臨した王は、ダリウス三世(コドマヌス)であり、彼はグラニコス川の戦い(紀元前334年)イススの戦い(紀元前333年)、およびアルベラまたはガウガメラの戦い(紀元前331年)でアレキサンダーに破れた。」―SDAバイブル・コメンタリー4巻p774
 「アレキサンダーにとっては、自分の精神を治めるより、王国を治めるほうが容易であった。国々を征服した後に、いわゆる偉大な者は、食欲の放縦によって倒れた―彼は不節制の犠牲者であった―。」―クリスチャンの節制と聖書の衛生p29
 「彼は卑しむべき傲慢のあまり、神の名誉をほしいままにした。彼は勝ち得た都市を血に渇いた放縦な部下の為すがままに任せた。彼自身もまたしばしば酔い狂って彼の友や寵臣を殺害した。彼はこのような過度の飲酒を従者たちに勧め、一度の機会で20人がその酒宴の結果死んだことがあった。長い酒盛で飲み続けた後、またほかの酒宴に招待された。歴史によれば、20人の来賓とそれぞれ杯を交わした後、信じられないかもしれないが6クオート(約6リットル)分がはいるヘラクレスの杯を2回も飲んだということである。その結果彼はそこで倒れて激しい熱に襲われ、その11日後すなわち紀元前323年6月13日に死亡した。彼はその時まだ32歳という壮年期の門口に立ったばかりであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p53, 54


第四の帝国


3.第四の帝国について、何と言われていますか。それはどこまで広がりましたか(ダニエル2:33上句, 40; ルカ2:1)。


 「この国は敵をいつも征服し、常に戦争において勝利を得ていた。短期間のうちにユーフラテス川、ドナウ川ライン川また大海まで戦争して行き、金や銀や青銅の国として象徴された国は、引き続いて起こった鉄の国ローマによって滅亡された。
キリスト教時代の初めに、この帝国はヨーロッパの南方全体を占めていた。すなわちフランス、イギリス、オランダの大部分、スイス、ドイツの南、ハンガリー、トルコ、ギリシャ、アジアとアフリカの占有は言うまでもなく、……
 ローマ帝国は世界に広がった。」―ダニエル書と黙示録の預言p54, 55


世界歴史において最も重要な出来事


4.ローマ帝国支配下において、どのような重要な出来事が起こりましたか。神の選ばれた民の指導者たちは、この出来事のために準備ができていましたか(ルカ2:4-7; ヨハネ1:5, 11)。


 「天使が、イエスを迎える準備のある者はだれかを見るために、地を訪れる。しかし、待ち受けている様子はどこにも見られない。メシヤ到来の時が近づいたという賛美と勝利の声は聞こえない。天使は、しばらく、選ばれた都の上に、そして、長い間神の臨在があらわされていた神殿の上にとどまる。しかし、ここにも同じ無関心さがある。」―各時代の大争闘上巻p403


待っていた者たちにとっては大いなる喜び


5.なぜ羊飼いたちに、この喜びの知らせが与えられましたか(ルカ2:8, 9)。


 「キリストに対する期待、生命の君を迎える準備は、どこにも見られない。驚いた天使は、この恥ずべき報告をもって天に帰ろうとする。とその時、夜羊の番をしながら星空を仰ぎ、メシヤが地上に来られるという預言を瞑想し、世界の贖い主の来臨を待望している、羊飼いの一群を見つける。ここに、天来の知らせを受ける用意のできた一団がいるのである。」―各時代の大争闘下巻p403

6.天からのメッセージのテーマは何でしたか(ルカ2:10, 11)。


 「そこで、突然主の使いが現われて、大いなる喜びの福音を宣言する。天の栄光が平原に満ち、数えきれない天使たちがあらわれる。あたかもこの喜びは、ただ一人の天使が伝えるにはあまりにも大きすぎるかのように、おおぜいの声が高らかに、やがてすべての国々から贖われた者たちの歌う賛美の歌を歌う。『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』(ルカ2:14)。」―各時代の大争闘下巻403,404

7.他に誰が、この預言の成就を待っていましたか(ルカ2:25-38; マタイ 2:1, 2; 民数記24:17)。


 「異教徒の国でも、彼を待っている人々があった。彼らは、高貴で富裕な賢者、東方の哲学者であった。この賢者たちは、自然の探究者であり、神のみ手のわざの中に神を認めたのである。ヘブルの聖書から、彼らは、ヤコブから星が現われることを学び、『イスラエルの慰め』であるばかりでなく、『異邦人を照す啓示の光』であり、『地の果までも救をもたらす』おかたが来られるのを熱心に待望していた(ルカ2:25, 32、使徒行伝13:47)。彼らは光を求めていた。そして、神のみ座からの光が彼らの歩く道を照らした。」―各時代の大争闘下巻404

個人的な研究のために

• マタイ2:1-12
• ルカ2:1-38
• 各時代の希望上巻p31-49



第11課                  安息日2011年3月12日


ローマ帝国の滅亡



 「第四の国は鉄のように強いでしょう。……あなたはその足と足の指を見られましたが、その一部は陶器師の粘土、一部は鉄であったので、それは分裂した国をさします。……」―ダニエル2:40, 41


平和の君とローマ帝国


1.平和の君であるイエスがお生まれになった時、天使はどのような美しい約束を羊飼いに表しましたか。その時代、それと対照的に、どのような状態が存在していましたか(ルカ2:13, 14)。


 「『時の満ちるに及んで、神はみ子を…おつかわしになった』(ガラテヤ4:4)。摂理の神は、この世界に救い主来臨の機が熟するまで、国々の動きと、人間の衝動や影響力の流れとをみちびいておられた。国々は一つの政府の下に統合されていた。一つの国語が広く話され、いたるところで文学の言語としてみとめられていた。離散しているユダヤ人は年ごとの大祭のために全地からエルサレムに集まった。彼らは、その居留地へもどると、メシヤの来臨についてのおとずれを世界じゅうにひろめることができた。」―各時代の希望上巻p22


2.どの大国が、神の御子に対して告げられた死刑宣告を確認し実行しましたか(マタイ27:24-31)。

 「ローマ人総督ピラトの法廷に、キリストは、囚人として拘束されて立たれる。イエスのまわりには警備の兵士たちが立ち、法廷は見物人でたちまちいっぱいになる。入口のすぐ外側には、サンヒドリンの裁判官たち、祭司たち、役人たち、長老たち、それにやじ馬連中がいる。
エスを有罪に定めてから、サンヒドリンの会議は、その判決の確認と執行をピラトに願い出ていた。」―各時代の希望下巻p227


ピラトの犯罪とその結果



3.天はどのようにして、ピラトが不正にイエスに有罪判決を下すことによって、自分に恐るべき罪悪感をもたらすことがないように彼を守ろうとしましたか。ピラトの経歴と人生はどのように終わりましたか(マタイ27:19; ヨブ20:4-7; コリント第二 4:7-11)。


 「もし最初にピラトが断固とした態度をとって、無罪とわかった人間に有罪を宣告することを拒否したら、彼は、彼を一生しばりつけた悔恨と罪とがの致命的な鎖をたち切ることができたであろう。もし彼が正義についての自分の確信を実行していたら、ユダヤ人がつけあがって彼に命令するようなことはなかったであろう。キリストは死刑にされたであろうが、それでもその罪がピラトに着せられることはなかったであろう。しかしピラトは一歩一歩自分の良心を犯した。彼は、正義と公平をもって裁判することを言いのがれたので、いまや祭司たちと役人たちの手に陥ってほとんど無力になっている自分に気がついた。動揺と優柔不断が彼の破滅となった。……
ピラトは暴徒たちの要求に屈服した。彼は自分の地位を危険にさらすよりも、イエスを十字架につけるために、引きわたした。しかし彼の用心にもかかわらず、彼の恐れていたことがのちになって彼の身に起こった。彼は名誉をはぎとられてその高い地位から追われ、キリストの十字架ののちまもなく、悔恨と傷つけられた誇りに苦しみながら、自らのいのちをたった。このように、罪と妥協する者はみな悲哀と破滅だけしか得られないであろう。
 『人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある』(箴言14:12)。」―各時代の希望下巻p242,254


ユダヤ民族にとっての致命的な結果


4.平和の君を拒んだ後、ユダヤ人たちに何が起こりましたか(ルカ19:41-44; マタイ22:4-7)。


 「こうしてユダヤ民族は神のあわれみを全く拒絶してしまった。キリストは、こうなることをたとえの中で予告しておられた。王は『軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。』宣言されていた通りの審判がユダヤ人にくだり、エルサレムは破壊され、民族は散らされた。」―キリストの実物教訓p288,289


クリスチャンの迫害



5.ネロの時から、ローマはキリストに従う者たちをどのように扱いましたか(コリント第一4:7-11)。


 「パウロが捕らわれている間に、キリスト教への改宗者が非常に多くなったので、官憲の注意をひき、また敵意をひき起こした。特に宮中から改宗者が出たために、皇帝の怒りにふれ、皇帝はすぐさま、キリスト教徒を彼の無情な残虐行為の対象とする口実を見つけた。」―患難から栄光へ下巻p183
 「ネロのもとで、パウロが殉教したころに始まったこのような迫害は、その激しさに多少の差はあったが、数世紀間続いた。キリスト者は、極悪非道な犯罪を犯したものとして偽って訴えられ、飢饉、疫病、地震などの災害の原因であるとされた。彼らが、一般社会の憎悪と嫌疑の的となると、密告者たちは利益のために、罪のない者を裏切った。彼らは、ローマ帝国の反逆者、宗教の敵、社会の害毒であると非難された。数多くの者が円形劇場で、野獣の餌食になり、生きながら火で焼かれた。十字架に架けられた者たちもあれば、野獣の皮を着せられて闘技場に投げ込まれ、犬にかみ裂かれた者たちもあった。こうした刑罰は、しばしば、祝祭日の主な催し物にされた。大群衆が集まってきて、その光景をながめて楽しみ、彼らの死の苦しみを笑い、喝釆した。」―各時代の大争闘上巻p31


ローマ帝国の分裂


6.預言は、ローマ帝国の終わりをどのように描写しましたか。この鉄の君主国はいつ分裂しましたか(ダニエル2:33, 41)。


 「それからここで分裂が展開される。わたしたちはそれを指し示している象徴の中に何を見るであろうか。その像の足以外の何物でもない。これがなかったら、わたしたちは預言が確かに存在したと示している分裂の性質と範囲について全く暗闇の中に取り残されてしまうのである。これは預言自身に大きな非難を浴びせることになったであろう。それゆえわたしたちは十の足の指はローマ帝国が十に分けられたことを象徴しているという結論に自分を留めておくのである。
この分裂は紀元351年から476年の間に成就した。この分裂の時代はこのように約4世紀の半ばから5世紀の終わりまでの125年間続いた。どの歴史家たちもローマ帝国の分断の働きが紀元351年より前に端を発しているとは認識しておらず、一般的にその終結は紀元476年であることが同意されている。」―ダニエル書と黙示録の預言p57, 58


7.歴史は、ローマ帝国の分裂について何を示していますか(ダニエル2:42, 43)。


 「地上の権力は揺り動かされている。わたしたちは、地上の国々が一致することを期待することはできないし、期待する必要もない。ネブカデネザルの像におけるわたしたちの位置は、足によって象徴されている。それは分かたれた状態にあり、粉々に崩れる物質によって出来ており、決して結合することはない。預言は、神の大いなる日がわたしたちに迫っていることを示している。預言は大いに急いでいる。」―教会への証1巻p360
 「ローマ帝国の分裂に最も貢献し、またある時には歴史の中でローマの領土の各自の部分を独立した王国として支配した十の国は以下の通りである(その設立の時期は関係なく)。フン、オストロゴス、西ゴート、フランク、ヴァンダル、スーヴィ、ブルグンド、ヘルライ、アングロサクソン、ロンバルドである。」―ダニエル書と黙示録の預言p58

個人的な研究のために

• 各時代の希望上巻p23
• 国と指導者下巻p122

 「ローマの2番目の支配者であるヌマ・ポンピリウス(紀元前716−673)について、歴史は、彼がヤヌスのために神殿を建てたことを記している。……この神殿は、戦時に開かれ、平和時に閉められることになっていた。ヌマの下では、神殿はいつも閉じられていた。ヌマの後、ローマ共和国の全体の期間、これは二度起こった。すなわち最初はプニアン戦争の終わりの後、また再びシーザー・オーガストゥス(最初のシーザー)の治世の初めに起こった。」―Dr. Starke, Römische Geschichte, ローマ史p9




第12課                  安息日2011年3月19日


永遠に続く王国



 「ああ、そのしるしの大いなること、ああ、その奇跡のすばらしいこと、その国は永遠の国、その主権は世々に及ぶ。」―ダニエル4:3


聖なる王国


1.ダニエルは、一時的な地上の王国の性質を示した後で、どの王国を指差しましたか。この石はどなたを表していましたか(ダニエル2:34, 44, 45; イザヤ28:16)。


 「ネブカデネザルは世界的栄誉の最高峰に立ち、霊感の書にさえ『王の王』として認められたのであったが(エゼキエル書26:7)、時には彼の王国の栄光と治世の輝きが、主の恵みによるものであることを認めたのであった。彼が巨大な像の夢を見たあとなどは、そうであった。彼はこの幻によって強い印象を受けた。そして世界的であるとは言っても、バビロン帝国はついに倒れ、他の国々が支配権を握るに至り、最後には天の神が建設される王国が、地上のすべての国々にとって代わるのである。またその国は、いつまでも滅びないということに深い感銘をおぼえた。」―国と指導者下巻p122

2.この出来事は何を指していましたか。この出来事の前に、どのような強力な惑わしが起こりますか(ヨハネ14:3; マタイ24:23-27)。


 「欺瞞の一大ドラマの最後を飾る一幕として、サタンはキリストを装うであろう。教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として期待していると長い間公言してきた。今や大欺瞞者は、キリストがおいでになったように見せかける。地上のあちらこちらで、サタンは、黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、まばゆく輝く威厳ある者として人々の中に現われる(黙示録1:13-15参照)。彼をとりまいている栄光は、これまで人間の目が見たどんなものも及ばない。」―各時代の大争闘下巻p398,399

3.何だけが、人がこの強力な惑わしを受け入れることがないように守りますか(ヨハネ5:39上句; ペテロ第二3:14)。


 「聖書を熱心に研究し、真理の愛を受けたものだけが、世界をとりこにする強力な惑わしから守られる。聖書のあかしによって、これらの者は欺瞞者サタンの変装を見破る。すべての人に試みの時がやってくる。試みのふるいによって、ほんもののキリスト者が明らかにされる。神の民は、自分の感覚的証拠に屈しないほど、今神のみ言葉に固く立っているだろうか。」―各時代の大争闘下巻p400
 「世と結びついている者は、世の性質を受け入れており、獣の刻印を受ける用意をしているのである。自己に信頼しない者、神のみ前に自分をへりくだらせている者、真理に従うことによって自分の魂を清めている者、この人々は天の性質を受け入れており、自分たちの額に神の印を受ける準備をしているのである。法令が施行され、印が押される時、彼らの品性は永遠のために、純潔でしみのないままである。」―教会への証5巻p216
救い主は雲に乗って来られる

4.キリストの来臨は、どのように起こりますか。その時、主の祈りのどの求めが成就されますか。誰だけが、その王国の市民となることができますか(黙示録1:7; マタイ6:10上句; ヨハネ3:3, 5)。

 「まもなく、東のほうに、人の手の半分くらいの大きさの小さい黒雲が現われる。それは、救い主を囲んでいる雲で、遠くからは、暗黒に包まれているように見える。神の民は、これが人の子のしるしであることを知っている。……
王の王は、燃える炎に包まれて、雲に乗って降りて来られる。天は巻物が巻かれるように消えていき、地は、王の王の前に震え、すべての山と島とは、その場所から移されてしまう。」―各時代の大争闘下巻p419,420
 「……神の恵みのみ国は、罪と反逆に満ちた心が、日ごとに、神の愛の主権に服する時、今も建設されつつあるのである。しかし、神の栄光のみ国の建設は、キリストがこの世界に再臨される時まで完成を見ることはない。「国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる」(ダニエル書7:27)。彼らは、「世の初めから」彼らのために用意されたみ国を受けつぐのである(マタイ25:34)。そして、キリストは大いなる力をご自身の手に収めて、統治なさるのである。」―祝福の山p135


王の反応



5.夢の解き明かしは、ネブカデネザルにどのような印象を与えましたか。彼は何を認めましたか(ダニエル2:46, 47)。


 「ネブカデネザルは、この事象を神の啓示として受け入れることができると感じた。ダニエルに夢のあらゆる詳細が示されていたからである。この幻の事象によって伝えられた厳粛な真理は、国王の心に深い印象を与え、謙遜と畏敬の念をもって彼は『ひれ伏して、……拝した』。
ネブカデネザルは神の知恵と、彼の王国の最高学識者らの知恵との相違をはっきりと悟った。」―(ユース・インストラクター1903年9月8日) SDAバイブル・コメンタリー4, p169 

6.王はダニエルにどのような報酬を与えましたか(ダニエル2:48)。

 「ダニエルはバビロンの宮廷において、忠実な政治家であった。それは彼が神を畏れ、神を愛し信頼していたからであった。誘惑と危機の時において、彼は神の力によって守られた。わたしたちは、神がダニエルに知恵を与えられ、悟りを授けられたということを読む。」―クリスチャン教育の基礎p204, 205
「彼の仕事上のすべての取引が精密に調査された時、不完全な点は何一つ見出されなかった。彼の仕事上の生活の記録は十分にあるわけではないが、研究する価値のある教訓を含んでいる。それは、実業家は必ずしも政策的で、陰謀的な者ではないという事実を示している。彼は、一歩ごとに神に教えられる者となることができる。ダニエルは、バビロン王国の総督である一方で、神の預言者であり、天の霊感の光を受けていた。彼の生涯は、すべてのクリスチャンの実業家がなるべき実例である。」―教会への証7巻p248

7.ダニエルは誉れを与えられた時でさえ、どなたについて考えましたか(ダニエル2:49)。


 「ダニエルの実例が、わたしに示された。彼は、わたしたちと同じような感情を持った人間であったが、霊感の筆は彼を欠点がない品性を持った者として示している。彼の生涯は、神を自分の力とし、自分の手の届く所にある機会と特権を賢く用いるならば、この世においても人がどのような者になりえるかという輝かしい実例をわたしたちに与えている。ダニエルは知的な巨人であった。しかし彼は、さらなる知識、さらなる到達を常に求めていた。他の若者たちも同じ利益を持っていたが、彼らは、ダニエルのように、知恵―神のみ言葉とみ業に明らかにされた知識―を求めるために彼らのすべての精力を注ぐことをしなかった。ダニエルは世界の偉人の一人であったが、彼は誇ることも自己満足にもならなかった。彼は祈りによって自分の魂を新たにする必要を感じ、日毎に神のみ前で熱心に嘆願した。彼は、もし祈り続けるならば、ししの穴に入れられるという時であってさえ、この特権が奪われることを許さなかった。」―教会への証4巻p569

個人的な研究のために

• マタイ25:34
ヨハネ18:36
• キリストの実物教訓p325

 「活動の舞台に上った国はすべて、警護者と聖なるおかたのみこころを達成するかどうかということを決めるために、地上でその地位を占めることが許される。預言はバビロン、メド・ペルシャギリシャ、ローマなどの、世界の大帝国の興亡の歴史を記している。これらの国々においても、弱小国家の場合と同様に歴史がくり返されているのである。それぞれの国にテストの期間が与えられた。そして、それぞれの国がその試練に失敗して、その栄光は消え、その力は去っていった。」―国と指導者下巻p142




第13課                  安息日2011年3月26日



火のような試練



 「人間に従うよりは、神に従うべきである。」―使徒行伝5:29


バビロンの王の像と法令


1.ネブカデネザル王は、権力の頂点においてなにをしましたか。何が彼にこの命令を出すように動かしましたか(ダニエル3:1)。


 「やがて彼は神を崇めることをやめ、ますます熱心さと頑なさをもって、偶像礼拝に逆もどりしてしまった。……
 国内の賢者たちは、これと彼が偶像礼拝にもどったことを利用して、彼が夢の中で見たのと同じような像を造って、彼の王国の代表であると解き明かされた金の頭を、すべての者が見ることのできるところに建てようと提案した。……
 さらにそれ以上のことをすることに決めた。彼は自分が見た像を再現するどころか、それよりもさらに巨大なものにしようと望んだ。彼の像は頭から足へと価値が低下するようなものではなくて、その全体が金であって、バビロンが他のすべての国々を打ち砕いて、いつまでも継続する永遠不滅の強大な王国を象徴するものでなければならなかった。」―国と指導者下巻p113


2.像の落成式には誰が招かれましたか。すべての人が集まった時、王の使者はどのような命令を出しましたか(ダニエル3:2-6)。


 「偶像礼拝が広く行きわたっていた国にあって、バビロンの栄光とその壮大さと権力をあらわした美麗きわまる貴重な像が、礼拝の対象としてドラの平野で捧げられても、少しも不思議ではないのである。そのようなわけで、このことについての取り決めが行われた。そしてその落成式の日には、すべての者が像の前にひれ伏して、バビロンの権力に対する絶対の忠誠を誓わなければならなかった。」―国と指導者下巻p114


神のために三人の若者が立つ


3.征服された国の代表者たちは、この非常に大きな圧力の下にあってどうしましたか。しかし、誰がこの像を拝むことができませんでしたか(ダニエル3:7-12)。


 「勝ち誇ったネブカデネザルに、彼の命令に敢えて背いた者たちが、国民の中にあることが知らされた。ダニエルの忠実な仲間たちに授けられた栄誉をねたんだ知者のある者が、今、王の命令に対するはなはだしい違反を、王に告げたのである。」―国と指導者下巻p115
「定められた日がやってきて、大群衆が集められた。その時、バビロン全州の監督とされていた三人のヘブル人たちが、像を拝むことを拒んだという報告が王にもたらされた。彼らはダニエルの三人の仲間であり、王によって、シャデラク、メシャク、アベデネゴと呼ばれていた者たちであった。君主は怒りに満ちて彼らを前に呼び、火の燃える炉を指差して、彼らに、もし彼らが自分の命令に従うことを拒むならば、罰としてそこに入れると言った。」―レビュー・アンド・ヘラルド1881年2月1日


4.王は若者たちに、さらにどのような機会を与えましたか(ダニエル3:13-15上句)。


 「王は彼らにもう一度機会を与えたいと思った。もし彼らが群衆とともに、喜んで像を礼拝する意志があることを表明するならば、それで万事は円満におさまるのであった。」―国と指導者下巻p116
 「王の寛大さは、シャデラク、メシャク、アベデネゴに彼らが拒んだ王の命令にもう一度従う機会を与えたことに示されている。疑いもなく事態の重大さは十分に理解されたが、彼らは知らなかったと弁解はしなかった。彼らは王が何を望んでいるかを知っており、彼の要求に応じないという事は、よく理解した上で故意に彼に従わないということであった。ほとんど王にとってこれは彼らの運命を定めるのに十分であった。しかしネブカデネザルはそうではなく、もし次の機会に従うのなら今回の罪は許そうと言った。しかし彼らは王にそのような手間をかける必要はないことを告げた。」―ダニエル書と黙示録の預言p73

5.王は、もし彼らが自分の命令を拒むならなにを実行すると脅かしましたか(ダニエル3:15下句)。


 「もし彼らが群衆とともに、喜んで像を礼拝する意志があることを表明するならば、それで万事は円満におさまるのであった。王はつけ加えた。『しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる』。そして王は、傲慢な態度で手をあげて、『いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか』とたずねた。」―国と指導者下巻p116

原則に対する聖なる厳守


6.三人の若者は、どなたに信頼しましたか(ダニエル3:16, 17)。


 「わたしたちは、しっかりとした宗教原則を支えている力の実例を見てきた。死の恐れも気絶しかけたダビデに、勇敢な男たちが命を危険にさらして得たベツレヘムの水を飲ませることはできなかった。口を大きく開けたライオンのいる洞穴は、ダニエルを日毎の祈りから引き放すことはできなかった。また燃えさかる炉もシャデラクとその仲間に、ネブカデネザルの建てた偶像にひれ伏すようにと説き伏せることはできなかった。原則に堅く立つ若者は快楽を避け、苦しみを意に介さず、神に不忠実であることを見られるよりはライオンの洞穴や熱して燃えさかる炉をものともしない。ヨセフの品性に注目しなさい。美徳は厳しく試されたが、その勝利は完全なものであった。あらゆる点においてこの気高い若者は試練に耐えた。同じ高尚な、確固たる原則があらゆる試練の時にあらわれた。主が彼と共におられ、そのみ言葉が掟であった。そのような堅固さと汚れのない原則は、この時代の若者の弱さと無能と対照的に最も輝かしく輝いているのである。」―教会への証5巻p43

7.彼らは、どのような可能性を考慮しなければなりませんでしたか。恐るべき脅かしにもかかわらず、どのような決定的な立場をとりましたか(ダニエル3:18)。


 「彼らは先祖の歴史から、神に従わないことは不名誉と不幸と死という結果を招くことを学んでいた。……」―国と指導者下巻116
 「彼らの応答は正直で断固としており『わたしたちは恐れていません。』『この事について、お答えする必要はありません』というものであった。これはつまりもう一度猶予を与えていただく必要はない、わたしたちは決心がついているので、現在も将来も同じように答えることができる。そしてわたしたちの答えは、あなたの神に仕えず、またあなたが建てられた金の像を拝むこともしないということ、わたしたちの神は王の手からわたしたちを救い出すことができ、またそうでなくともわたしたちは文句を言いません。わたしたちは神の御心を知っており絶対にこのお方に服従します、ということであった。」―ダニエル書と黙示録の預言p73

個人的な研究のために

• 青年への使命p13,14

 「ヨセフやダニエルとその友らの歴史をみれば、真理という黄金の鎖が青年たちを神のみ座につないでいることがわかります。彼らを誘惑して正直という道からひきはなすことはできませんでした。彼らは王侯たちの恩恵や賞賛よりも、神の恩寵を尊びました。神は彼らを愛し彼らの上に守りの手をさし出されました。彼らが心から正直だったために、またどんな人間の力よりも神を敬ったために、主は、人々の前で彼らに非常な誉をおさずけになりました。彼らは、上なる天と下なる地にあるすべてのみ手のわざの上に能力を持っておられる主なる万軍の神エホバによって栄誉を与えられました。この青年たちは、自分たちの本当の旗色を鮮明にすることを恥じませんでした。彼らは、王の宮廷においてさえ、その言葉、習慣行為によって、天の神エホバヘの信仰を表明しました。彼らは、神の名誉をきずつけるようなどんな人間の命令にも屈服することをこばみました。彼らは天来の力を得て、神への忠誠心を表明しました。」―今日のわたしの生涯p120・青年への使命p14


スーダンからの伝道報告

2011年3月26日に読んでください。
特別安息日学校献金は2011年4月2日の安息日に集められます。


「キリストは、無人島にのり上げて粉々になった難破船のように、罪のために滅び行く幾千もの人々のために、忍耐し、しんぼう強く働くようにとわたしたちを召しておられる。キリストの栄光にあずかる者は、弱い者、不幸な者、落胆している者を助けてキリストの奉仕にもあずからなければならない。」―教会への証9巻p31
「すべての信者は、教会との結合において真実でなければならない。自分自身を優先することよりも、教会の繁栄が第一の関心事であるべきであり、教会にとって有益になるようにすることが自分の聖なる義務であると感じない限り、教会は彼がいないほうがよいのである。すべての者は、神のみ事業のために何かをすることができる。不必要なぜいたくに多くのお金を費やす者たちがいる。彼らは自分たちの食欲を満足させるが、教会を支えるために貢献することは、大きな負担であると感じるのである。」―教会への証4巻p18
アフリカ大陸の北東に位置しており、東にはエチオピアエリトリア、紅海、西には中央アフリカ共和国とチャド、北にはエジプトとリビア、南にはケニヤ、ウガンダ、およびコンゴ民主共和国と国境を共有しているアフリカで最も大きい国であるスーダンに改革のメッセージが伝えられました。国は約4100万人の人口で250万5800平方キロメートル(96万7530平方マイル)の面積を所有しています。
原油や鉱物などの天然資源の埋蔵量が多くありますが、国は経済的に貧しいです。国は多くの内戦を経験し、それは経済と社会に深刻な影響を与えました。21年間、内戦が南部スーダンであり、それは、150万人以上の命を奪いました。和平協定が2005年に結ばれましたが、いまだ緊張状態にあります。現在、すでに20万人以上の命を奪った戦争が西スーダンダルフールの地域で進行中です。
これは大いに伝道の活動を妨げています。他の妨害はイスラム教です。人口の70%以上はイスラム教ですが、クリスチャンは約15%で、ほとんどは南にいます。また、多神教や伝統的な宗教が人口の約15%を占めています。一般的に、スーダンは厳密に言えばイスラム教の国であるので、クリスチャンの信仰の自由が全くありません。しかし今は国際的な圧力のおかげで、以前ほどには、クリスチャンの拷問はありません。
南部スーダンでは、南部において優勢なクリスチャンと、イスラム教徒が支配力を振う連邦政府の間で結ばれた和平協定の下で、一時的な自治を承認されました。少なくとも当分の間、自由に伝道の活動を行うことができます。わたしたちは、宣教師たちがこの機会を利用できることを神に感謝します。アラビア語スーダンの中で優位を占め、イスラム寺院、クリスチャン教会、また事業所では、公用語となっています。人々はアラビア語の聖書を使用します。英語やその他の現地の言語は、会話において使用されます。
セブンスデー・アドベンチストは1970年代初期に、南スーダンにおいて初めて第三天使のメッセージを伝えました。SDA教会を南スーダンに設立するために多大な貢献したあるSDAの牧師が、スーダンにおいて改革のメッセージを受け入れた初めの人でした。彼の名前はナタナ・バスエルです。
2009年の7月の上旬に、ウガンダの改革運動のメンバーであり、南スーダンにおいて仕事をしているという人が世界総会に連絡をしてきました。彼は、スーダンにおいて改革の働きを確立する助けをしたいと言いました。世界総会はナイロビにあるBAMI大学のセビス・モヨ牧師がこの人と会い、彼の求めに応じて旅行をするように手配しました。しかしながら、旅行の手配がされていた2009年の9月、その人は現れず、その後二度と彼からの連絡はありませんでした。モヨ兄弟は、ウガンダのウィルバーフォース・カリシャ兄弟に南スーダンへ同伴してくれるように直ちに手配しなければなりませんでした。
そこで1週間滞在中、兄弟たちは、バスエル牧師、ヤコブ・ゴア、その他の人々と重要な接触を取ることができました。2009年の12月にモヨ兄弟とわたしは、もっと学びたいという人たちの求めに応じるために、2度目のジュバへの訪問をしました。わたしたちが到着する数日前、ある人たちが彼らを訪問して、わたしたちに対しての偽りの疑惑を持ちだし、彼らを落胆させ身を引くようにさせました。しかし、わたしたちを迎えに来た人たちのうちにバスエル牧師とゴア兄弟がいたことを神に感謝します。わたしたちは、彼らが預言された改革運動と共に、神のために堅く立つように最善を尽くして励ましました。今わたしたちは、神の働きのために強い基礎を築くために、宣教師を送る必要があります。
計画の中には、教会を登録すること、土地を購入すること、南スーダンの首都であるユバに本部と教会を建てることが含まれています。すべての宗教団体に属するすべての人たちが正式な礼拝の家に集まることを求める政府当局の嫌がらせから信者を救うために、礼拝の家が他の場所にも必要とされています。来週の安息日に集められる皆さんの寛大な贈り物は、神の誉れと栄光を帰すこの目的のために用いられます。経済的な祝福を通して神に奉仕することを決心する皆さんを神が豊かに祝福して下さいますように。
パラメナス・シュリマ、セビス・モヨ
ケニヤ、ナイロビ、BAMI大学