ダニエル書講解3 選抜された4貴公子

 「時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。」ダニエル1:3〜5
 以上の数節は、預言者イザヤが100年以上も前に、ヒゼキヤ王に警告した刑罰を示す記録である。すなわちヒゼキヤ王がバビロン王の使者に自慢して、彼の宮とユダヤの宝物を示した時、これらの全ての良き物が戦利品としてバビロンに携え行かれ、一つも残らない事、並びに彼の子孫すなわち彼の後裔ですら捕えられバビロン王宮の宦官となることをイザヤは預言したのであった。(列王記下20:14〜18参照)
 捕虜とされた若者たちはすでに知恵の道に熟練し、知識に富み、科学を理解し、王の宮にはべるに足る能力を持っていたことを知ることができる。言い換えるのなら、彼等はすでに相当の教育を受け、肉体も精神も共に十分発達していたので、彼等の能力についてきわめて正確な評価がされたのである。ちなみにこの時、彼等はおおよそ18歳か20歳の青年であったと思われる。
 私達はこれらユダヤ人の捕虜が受けた待遇から、隆盛を極めたネブカデネザル王の賢明な政策と寛大な度量の一旦をうかがい知ることができるが、下記はその一例である。

1.ネブカデネザル王は後世の諸皇帝がしたように、低級で野卑な欲望を満たそうとはせず、むしろ国政に与るべき才能のある者たちを養成するために青年を抜擢した。
2.彼は自分が日常用いる食事と酒を彼等にも与えた。すなわち彼は捕虜には粗食で充分だとは言わず、自分の食する王の食物を与えた。
 三年の間、捕虜の青年たちはバビロン帝国の与え得る全ての恩恵を享受することができた。彼等は捕らわれの身とはいえ王族の青年であったため、慈悲深いカルデヤの王より、身分相当の待遇をうけたのである。 
 これらの青年が適当な準備の後、バビロンの国政に参与すべく抜擢されたことを考えると、この名誉と責任ある地位を占めるために必要な精神的、肉体的な資格を備えている点において、カルデヤの青年はイスラエルの青年と比べることもできなかったというより他に理由はありえないのである。

姓名の変更

 「彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤがあった。宦官の長は彼らに名を与えて、ダニエルをベルテシャザルと名づけ、ハナニヤをシャデラクと名づけ、ミシャエルをメシャクと名づけ、アザリヤをアベデネゴと名づけた。」ダニエル1:6,7
 この改名はおそらく言葉の意義のためになされたものであろう。すなわちダニエルはヘブル語で「神はわが裁き主なり」、ハナニヤは「エホバの賜物」、ミシャエルは「神の如きものは誰ぞや」、アザリヤは「エホバはわが助け」という意味がそれぞれある。これらの名はおのおの真の神の礼拝に関する意味を持っていたが、それが異教の神々とカルデヤ人の礼拝に関する意味を持つ名に変更されたのである。すなわちダニエルに与えられた名ペルシャザルは「ベル神」、シャデラクは「アク神」、メシャクは「女神シャカ」アベデネゴは「ネボ神」という意味であった。

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