ダニエル書講解4

ダニエルの菜食主義

 「ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、 宦官の長はダニエルに言った、『わが主なる王は、あなたがたの食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、王の前に危くなるでしょう』。そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤの上に立てた家令に言った、『どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください』。家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。」ダニエル1:8〜16
 ネブカデネザルは驚くほどの頑迷さを逸した王として現されている。すなわち彼は貴族の捕虜に対して、彼らの宗教を強いて変更しようとはしなかったらしい。彼らが何か宗教を信じてさえいれば、それが王自身の信じる宗教と同じであるか否かは彼の関するところではなかった。
 平素より菜食主義の実行者であったダニエルは、王の食物と酒をもって自らを汚すまいと決心した。ダニエルがこのような行動に出たのは、単にこのような食物が身体組織に及ぼす影響というよりも、他に理由があったのである。すなわち異教国の皇帝や皇族は、往々にして自国の宗教の監督であるがゆえに、王たちの食物は先ず偶像に捧げられ、かつその酒は偶像の前に神酒として用いられたものであったからである。それのみならず、彼らの用いる肉のあるものは、ユダヤの法律で不潔なものと定められたものであった。でるからダニエルは上記の二つ理由により、彼の信仰を挫かずにしてはこれらの食物を摂らなかったのである。であるから、彼が王の食物を食べなかったのは他の理由があったからではなく、それによって自らを汚すようなことがあってはならないという良心の懸念からであった。そこで彼はうやうやしくその理由を係りの役人に告げたのであった。宦官の長は王自ら彼らの食物を選定されたのであるから、ダニエルのこの要求に応じるのを恐れた。なぜなら、このことは王がこの青年たちに個人的興味を持ったことを示すものであった。それだけでなく、王は臣下に青年たちをゆだね、厚遇しなさいと命じて放任したのではなく、王自ら彼らの食物や飲み物まで選んで疎かにすることがないようにしたのであった。実際王はこれらの食物が、彼らのために最善のものであると信じて選定したのである。またこれらの理由により、宦官の長は、青年たちが王の選んだ食物を廃するならば、それを常用した人々よりも痩せ、顔色は悪くなり、従ってそのために彼らを冷遇したことが明らかになって、ついには己が首を失うに至るとまで考えたのであった。しかし一方では、彼らの肉体を健全にすることさえ出来れば、必ずしも王の命令に従わなくても、他の方法をとっても差し支えないと考えていたのである。要するに王の希望は、方法の如何を問わず、彼らに最高の知的および体的な発達を遂げさせようとしたのである。実にこれは頑迷にして圧政的な一般の権力者の態度とは雲泥の相違である。私たちはネブカデネザル王の性格の中に驚嘆に値する美点をみいだすことができるのである。
 ダニエルは自分と三人の友のために野菜と水とを求めた。そうして10日間を経過した彼らの栄養状態は衰えないだけでなく、かえって良くなっているのを見て、彼らは王に仕える為に教育を受ける全期間にわたり、その食物を摂取する事が許された。しかし、この10日間に起こった彼らの体重の増加と血色の優越は、その食物の自然の結果だけに帰することは出来ない。なぜなら、短期間にわたる著しい効果が現れるとはどうしても信じることができないからである。であるからその結果は、神が彼らのとった方針を是認された徴として、特別に彼らを祝福し、もし彼らがそれを継続するのならば、時の経過と共に自然の結果として現れるのと同じ結果を、僅かの間に現されたものであると結論するのが最も当然のことであろう。

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