「子供たちに神と共に働く者となることを教えなさい」

「主の道は直く、正しき者はこれを歩む。」(ホセア14:9)


 クリスチャンの生涯において、この世の事柄、誇り、ぜいたく、自己放縦という偶像の余地はない。神は利己的な目的で使うために目を形造られたのではなかった。神はわたしたちが救い主をこのお方のみわざのうちに眺め、感嘆することができるようにと視力を与えて下さったのである。神はわたしたちの喜びのためにそれらを創造なさったのであった。
 子供たちがわたしたちの学校の一つに通う準備ができたら、賢明な親は、彼らが学校生活において宇宙の堕落したことのない存在者と交わるのにふさわしくなるような品性を形成するために奮闘しなければならないことを理解できるように助ける。そして彼らはただキリストが彼らに与えて下さる勝利する力によってのみ、これが可能なのである。このお方の恵みなしには、だれ一人としてキリストのような品性を形成することはできない。
 ご両親がた、あなたがたの子供たちに、教会においてあなたがたと共に働く者になるよう教えなさい。彼らが神と共に働く者になることを喜ぶような方法で彼らを教育しなさい。彼らの思いに、彼らが大きくなるのに応じて、奉仕の機会が広がること、そして彼らの力と能力もそれに比例して増し加わるのだという考えを印象づけなさい。神に献身した人々は神を知らない人々にとって祝福の水路となるのだということを彼らに理解させなさい。彼らにどのようにして神に勝つ力を得るのかを教えなさい。もしすべての親がこれを忠実になすならば、わたしたちは至るところで献身した働き人を見るようになる。(原稿67, 1903年
 教会員は、年寄りも若い者も、この最後の使命を世にのべ伝えるために出かけなくてはなりません。彼らがへりくだった心をもって出かけるとき天使たちは一緒につきそって、どのように祈り、どのように歌い、どのように現代の福音使命を宣伝したらよいかを彼らに教えます。(青年への使命213)
 聖書研究を授けることは天から出た考えです。そこには幾百の若い男女のなすべき大切な働きの分野へいたる道が開かれています。この大切な働きは、他の方法ではなすことができません。
 聖書は鎖につながれていません。私たちは聖書をどこの家へでも持って行くことができ、その真理をどんな人の良心にも示すことができます。世間には感心なベレヤ人たちのように、真理が示されると、それが本当であるかどうかを調べるために聖書を研究する人がたくさんいます。……世の救い主イエスは聖書をただ読むばかりでなく「しらべよ」と言っておられます。聖書研究を授けることは大事な働きで、しかもそれは私たちにゆだねられているのです。
 私たちはこの働きをなすときに大いに益を受けます。なぜならキリストのご命令に従う者には、必ずその報いがあたえられるからです。キリストのみことばのうちに示されている光に忠実に従うこの行為には、特別な恩恵のしるしが表わされます。(同上215, 216)

よろしくお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村