「愛という絆で一つになった家族」


「彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。」(箴言31:26)


 母親が自分の子供の良い行いをほめる言葉を語ることができる時はいつでも、そうすべきである。彼女は是認の言葉と愛のまなざしによって彼らを励ますべきである。これらは子供の心にとって日光のようであり、自己尊重と品性の誇りを培うことにつながる。……
 子供には感じやすく愛する性質がある。彼らはすぐに喜び、すぐに悲しくなる。愛に満ちた言葉と行動で優しくしつけることによって、母親は自分の子供たちを自分の心に結びつけることができる。苛酷さを表し、子供たちを厳しくとり扱うことは大変な誤りである。どの家族の規律にとっても、変わらない堅固さと感情に動かされない統制が必要である。あなたが本気で考えている通りのことを静かに話し、思慮をもって行動し、そして寸分たがわずあなたが言ったとおりに実行しなさい。
 あなたが子供との交わりの中で愛情を表す甲斐はある。彼らの子供らしい遊びや喜びや悲しみに対する思いやりに欠けて、彼らを追い払うようなことがあってはならない。(教会への証3巻532)
 幼児は母親にとって鏡である。母親は彼らのうちに自分の癖やふるまいが映っているのを見ることができる。自分自身の声の調子さえたどることができる。そうであれば、彼女は自分を模範とするこれらの小さな学習者の前でどれほど自分の言葉やふるまいに気をつけるべきであろうか。もし彼女が子供たちに物腰優しく、従順であって欲しいと望むならば、彼女自身がこれらの特質を培わなければならない。
 子供たちが自分の母親を愛し、信頼をおき、彼女に対して従順になるならば、彼らはクリスチャンになるための初めの教訓を教えられたことになる。……
 母親の個々の責任を視野に入れるとき、すべての女性はただ真実なこと、良いこと、美しいことだけを考えて、よくバランスの取れた思いと純潔な品性を発達させるべきである。妻と母親は自分の夫と子供たちを絶え間ない愛情によって、自分の心に結びつけることができる。その愛は、優しい言葉や思いやりのあるふるまいに表され、当然の結果として、彼女の子供たちはそれに倣うようになる。
 礼儀正しい振る舞いは簡単である。しかしそれには、それがなくては固くて荒くなってしまう性質を、和らげる力がある。クリスチャンの礼儀正しさがすべての家庭で統治すべきである。変わることのない礼儀正しさを培うこと、そしてほかの人々に自分がしてほしいと思うことをわたしたちが喜んですることが、生涯の不幸の半分を消滅させるのである。「兄弟の愛をもって互にいつくしみ」という命令に教えられている原則は、クリスチャン品性の隅のかしら石である。……クリスチャンの礼儀は家族を愛の絆で結ぶ黄金の留め金であり、毎日より緊密に、強くなるのである。(健康改革者1877年8月)

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