「礼儀が家庭で統治すべきである」


「愛には偽りがあってはならない。……互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。」(ローマ12:9、10)

 「兄弟の愛をもって互にいつくしみ」という命令に教えられている原則は、家庭の幸福の基礎そのものに敷かれている。クリスチャンの礼儀がすべての家庭で統治すべきである。……妻と母親は、もし彼女が自分の夫と子供たちと交わるときに、優しい言葉や礼儀正しいふるまいの中で変わらない愛を表すならば、彼らの心を愛という強い絆で自分自身に結びつけることができる。
 同じ家族の中でしばしば性質や品性の相違点が際立っていることがある。なぜなら、様々な気質の人々が共に交わるべきだと、神がお定めになったからである。このような場合、各々の家族の一員が慎重に、ほかの人の気持ちに心を配り、またほかの人の権利を尊重するべきである。この手段によって、相互の思いやりと寛容が培われ、偏見は和らげられ、そして品性の荒い部分が滑らかになる。調和が確保され、そして様々な気質が混ぜ合わされて互いの益となることができる。……
 [真の妻と母親は]、自分の義務を尊厳と快活さをもって行い、よく秩序立てられた家庭でなされる必要のあることは何であっても自分自身の手ですることが不面目だとは考えない。
 良い妻になるために、女性の性質が完全に彼女の夫の性質に没入される必要はない。各個人にはほかのすべての人と区別された人生があり、彼らとは本質的に異なった経験を持っている。わたしたちの個性が他人の個性の中に埋没してしまうことは創造主のご計画ではない。このお方はわたしたちがこのお方の芳しい恵みによって和らげられ、聖化された自分自身の品性を持つことを望んでおられる。このお方はわたしたち自身の心から出た言葉をお聞きになりたいのである。このお方は各々わたしたちの個性によって特徴づけられているわたしたちの切望する願いや熱誠な叫びがご自分の許に上ることを望んでおられる。すべての人が同じように思いを働かせるのではない。そして、神は人手を介した古い経験を求めておられるのではない。わたしたちの同情深い贖い主は、ご自分の助けのみ手をまさにわたしたちのいるところへと伸ばしてくださるのである。
 もし女性が力と慰めを求めて神を仰ぎ、そしてこのお方を畏れて自分の日常の義務を果たそうと努めるならば、彼女は自分の夫の尊敬と信頼を勝ち得、また自分の子供たちが成熟した尊敬に値する男女に成長し、彼らに正しいことを行う道徳的持久力があるのを見るようになる。……
 母親が自分の子供たちの信頼を得、そして彼らに自分を愛し、従うようにと教えてきたならば、彼女は彼らにクリスチャン生涯におけるはじめの教訓を授けてきたことになる。彼らは自分が親を愛し、信頼し、また彼らに従うように、自分たちの救い主を愛し、信頼し、従わなければならない。忠実な保護と正しい訓練のうちに親が自分の子供に表す愛は、ご自分の忠実な民に対するイエスの愛をかすかに反映している。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1886年9月9日)

よろしくお願いいたします。

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