「メンバーはみな奉仕することができる」


 「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。」(コリント第二6:1)


 わたしたちの教会員はみな、自国と他国の伝道に深い関心を持つべきである。新しい分野に真理の原則を植えつけるために、彼らが自己を犠牲にする努力をする時が彼らにもたらされる。この働きに運用された金銭は、豊かな返礼をもたらすであろう。み言葉から受けた光を喜んでいる新しい改心者は、他の人々に光をもたらすために自分の財産を差し出すであろう。
 主はご自分の民に、様々な伝道の働きに着手するよう呼びかけておられる。大路の人々も小道の人々も救いの福音を聞くべきである。教会員は、真理の完全なしるしをまだ受けたことのない友人や隣人の家で伝道の働きをしなければならない。……
この働きに取りかかる人々に、キリストの生涯を自分たちの絶え間ない研究課題とさせなさい。主の奉仕の中であらゆる能力を用いつつ、真剣に熱心であるようにさせなさい。まじめで無我の努力には尊い結果がもたらされる。働き人たちは偉大な教師であるお方から、すべての教育のうちの最高のものを受けるであろう。
 神の民の多くは、第三天使のメッセージが一度も宣言されたことのない地域へ、現代の真理の光を含む出版物をもって出かけるべきである。神の御霊を吹き込まれた個別訪問伝道者の働きは、善のために素晴らしい可能性に満ちている。家から家へと、愛と実直のうちに真理を提示することは、キリストが弟子たちを初めての伝道旅行に送り出した時に弟子たちに与えられた教えと調和する。家族内での神をたたえる賛美の歌とへりくだった心からの祈り、また聖書の真理を単純に示すことは多くの人の心に届く。聖なるお方は心に確信を与えるために臨在される。「わたしは……いつもあなたがたと共にいる」というみ言葉はこのお方の約束である。このような助け主のご臨在の保証があるので、わたしたちは信仰と希望と勇気をもって労することができる。
 神に対するわたしたちの一本調子の奉仕はやめる必要がある。教会員はみな神のための働きのどこかに従事しているべきである。真理によく定着している人々に、近隣へ行き、すべての人に心からの招きをしつつ集会を持たせなさい。その集会できれいなメロディの賛美、熱心な祈り、そして神のみ言葉を読むようにさせなさい。……
 人々の家を訪問して、聖書の真理についての簡単で印象的な主題をいくつかその家の人々に読み聞かせることのできる人々がいる。……
 差し迫った家庭の義務のために、個別訪問をすることのできない人々がいるが、彼らに何の手助けもできないと思わせてはならない。この人々は出かけて行く人々を励ますことができ、その人々を支える手助けとして自分たちの財産を差し出すことができる。(原稿150, 1903年

よろしくお願いいたします。

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