「心ある伝道者が必要とされている」

 「すべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。」(コリント第二5:15)

 自分に定められた働きをする者は他人に祝福となるばかりでなく、自らも祝福を受ける。義務を立派に果したという意識は自分の心に反映し、失望していた者は失望を忘れ、弱かった者は強くなり、無知な者は賢くなり、すべての人が、自分を召されたキリストは、確かな助け手であることを悟るであろう。
 キリストの教会は人に尽すための組織であって、その標語は奉仕である。教会員は救いの隊長の下で戦うために訓練される兵士である。クリスチャンの伝道者、医者、教師には多くの者が認識している以上に広い働きがある。彼らは人々に奉仕するばかりでなく、その人々に奉仕することを教えなければならない。また正しい原則を教えるだけでなく、これらの原則を他人に分け与えることができるように聴衆を教育すべきである。実践を伴わぬ真理や人にわけ与えない真理はその生命力を失い、いやす力を失ってしまう。真理の祝福は他人にわけ与えて初めて持続することができるのである。
 神に対する奉仕の単調さを打ち破らなければならない。各教会員は主のために何かの方面に従うべきである。ある者は他人ほどできないにしても、世界に広がっている病気や苦難の流れを押し返すために、自己の最善を尽さなければならない。……
 神に献身している教育のある働き人は、教育のない働き人よりも多くの方面に奉仕し、さらに大きな仕事ができる。精神が訓練されていることがその人を有利な立場におくのである。しかし、大した才能もなく、広く教育を受けていない人であっても、他の人のために奉仕することができる。神は喜んでご用にたちたいという人間をお用いになるのである。最大で永続的な結果をきたす働きをするのは、必ずしも最も才気あふれた才能家ではない。天の使命を聞いた男女が必要とされているのであって、一番効果的な働き人は「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」との召命に応ずる者である(マタイ11:29)。
 必要なのは心からの伝道者である。心に神の感動を受けた人は、神の愛をまだ知らずにいる人に対する熱望で心が満ちている。そして、その状態が自分の苦悩のように深く感じられる。その人は天よりつかわされ、神の霊感を受けた使者として天使が協力できる働きに命がけで出て行く。(ミニストリー・オブ・ヒーリング120〜122)


よろしくお願いいたします。

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