「同情深い行為は扉を開く」

 「それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである。」(マタイ20:28)
 
 多くの人は、神を信じる信仰を持っておらず、また、人を信じることができなくなっている。しかし彼らは同情深く、助けになる行為には感謝する。彼らが、地上の賞賛や代償を意に介さずに、病人を助けたり、飢えた者に食べさせたり、裸の者に着せたり、悲しめる者を慰めたりするために自分たちの家庭を訪問し、そして人間の働き人はただそれらを取り次ぐ者に過ぎないのであるが、いつも優しく愛と憐れみのお方をすべての人に指し示しているのを見るとき、――彼らがこれを見るとき、彼らの心の琴線に触れ、感謝が沸き起こり、信仰が灯される。彼らは神が自分たちを省みていてくださることを知るので、彼らはこのお方のみ言葉の教えに対して耳を傾ける準備ができるのである。
 外国の伝道地であろうと国内の伝道地であろうと、すべての宣教師たちは、男も女も、もし病人のために奉仕することができるならば、はるかにもっと速やかに人々に接近することができ、自分たちの有用性が大いに増すことを見出すようになる。異郷の地に宣教師としていく女性は、こうして接触するためのすべての扉が閉ざされているときにも、その地の女性たちに福音を伝えるためのチャンスを見出すことができる。すべての福音宣伝者たちは、痛みを和らげ、病気を取り除くために大いに役に立つ単純な治療をどのように施したらよいかを心得ているべきである。
 福音宣伝者たちはまた、健康的な生涯を送る原則について、指導することができるべきである。いたるところに病気があるが、これらの多くは健康の法則に注意を払うことによって防ぐことができるのである。人々は自分たちがこの世においても、また来たるべき世においても、自分たちの幸福が、健康の原則に関係していることを知る必要がある。彼らは人間という住まいを自分たちの創造主の宿られるのにふさわしい場所とするという自分たちの責任と、またこれに関して、このお方は彼らが忠実な執事となることを望んでおられるということに目覚める必要がある。
 何千もの人々が、病人を治療する単純な方法、すなわち有毒な薬を使用する代わりに用いられる方法に関して指示を受ける必要があるし、また喜んで受けるであろう。食事改革に関して、指導する必要が大いにある。悪い食習慣と不健康な食物の摂取は、世ののろいとなっている不節制や、犯罪、また悪に対して負うところが少なくない。
 健康の原則を教える際に、改革の偉大な目的をいつも念頭に置いていなさい。すなわち、その目的とは、体と思いと魂の最高の発達を得るということである。自然の法則は、神の法則であり、わたしたちの益のために計画されたものであって、これらに従うことがこの世における彼らの幸福を促進し、また来るべき生涯のために準備する助けとなるのだということを示しなさい。(レビュー・アンド・ヘラルド1914年12月24日)


よろしくお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村