「感化力」

 「足のなえている者が踏みはずすこと[がないように]、……あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。」(へブル12:13)
 わたしは自分たちと交わる人々に及ぼすわたしたちの感化力が、善につけ悪につけ、いかに強力なものであるかを悟ることができない。……
 わたしの親愛なる若い友人方、あなたは真の信心の単純さを維持することができる。あなたはせつに主を知ることを求めることができ、そのとき主はあしたの光のように必ず現れいでる。あなたはこのお方があなたを助けてくださるお方だと知ることができる。あなたは、自分の魂の守りを天の偉大な権威者たちにゆだね、そして堕落した世的な感化力から分離するようになるとき、イエス・キリストにあって、ますます増し加わる光と喜びと希望と慰めを得るようになる。
 わたしたちの足のためにまっすぐな道をつくる――これがわたしたちの働きである。「わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の〔創始者〕であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。このお方は、わたしたちが狭い道を、永遠の命へいたる狭い門を通って前進するとき、毎日わたしたちと共にいてくださる。このお方はあなたの助け主、またあなたの力となってくださる。このお方をもっと讃美しよう。わたしたちはみな、このお方を讃美するものを非常に多く受けてきた。そうであれば、わたしたちはもっとこのお方について語り、もっとこのお方を愛そう。
 ここにもっと若い子供たちがいる。キリストはあなたがたを愛される。母親が小さい子供たちを、イエスに手を置いて祝福していただこうと御許に連れてきたとき、弟子たちは彼らを追い返そうとした。教師なるお方は人々に重要な教訓をお与えになっていたので、弟子たちはこのお方が邪魔されてはいけないと思った。イエスは彼らの声を聞かれた。このお方は、「……来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」と仰せになった。
 わたしはこれらの小さな子供たち一人びとりに深い関心を覚える。そしてわたしたちはあなたがたがみな、彼らを非常に優しく取り扱うようにと望むのである。家族において年長の者たちは、自分たちより若い兄弟姉妹たちに対して忍耐強く、親切であるようにしよう。彼らは小さい者たちを聖書の知識に教育するために助けることができる。あなたが彼らに話しかけるとき、語気を強めてはならない。正しいことを行い、主を喜ばせることからもたらされる祝福を添えなさい。……
 もしあなたが絶えず主の助けを求めるならば、あなたは夕礼拝の時間になったとき、一日の間の、荒々しく失望させるような言葉や不親切な行動を悔い改めなければならないと感じることはない。生きた信仰によってキリストをしっかりとつかみ、そしてより若い子供たちを励ましなさい。彼らは時に悪いことをするかもしれないが、またいたずらをするかもしれないが、失望してはならない。彼らをできる限り誘惑から守り、そして彼らを主に従うようにと励ましなさい。……
 わたしたちが雄雄しくあり、そして一歩一歩、天へ向かって前進し、向上することができるように、家庭において、また教会において主に嘆願しよう。(原稿61, 1907年)

 
よろしくお願いいたします。

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