「ルデヤのもてなし」

 「紫布の商人で、……ルデヤという婦人が聞いていた。……そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は『もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい』と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。」(使徒行伝16:14, 15)

 「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開い」たと、ルカは引きつづき述べている。ルデヤは真理をよろこんで受け入れた。彼女もその家族も改心してバプテスマを受け、また、彼女の家に泊まるようにと彼女は使徒たちに懇望した。(患難から栄光へ上巻228)
 神の御霊は啓発されることを望む人々の理解力しか啓発することがおできにならない。わたしたちは、主が彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせたということを読む。神の勧告を余すことなく、またルデヤが受けるべき重要不可欠な事柄をすべて述べるというのが、彼女の改心において、パウロの果たすべき役割であった。その後は、ことごとく恵みに富まれる神がご自分の力を働かせてくださり、魂を正しい道へと導いてくださった。神と人間の代理人が協力し、働きは完全な成功を収めたのである。(SDA・バイブル・コメンタリー6巻1062)
 [当局者たち]は、牢獄を訪れて、使徒たちに自分たちの不正と残酷さを詫び、そして自ら彼らを牢獄の外へと案内し、彼らに町から出て行ってくれるようにと頼んだ。……使徒たちは、望まれていないところにとどまろうとはしなかった。彼らは長官たちの要求に応じたが、出立を急ぐことはしなかった。……彼らは喜んで、牢獄からルデヤの家へ行き、そこで最近キリストの信仰へと改心した人々と会い、神がどのようにすばらしい方法で彼らを取り扱われたかをことごとく語った。彼らはその夜の経験と、獄吏とその囚人たちの改心を物語った。
 使徒たちはピリピでの働きが無駄ではなかったことを見た。彼らはそこで大いに反対と迫害に直面した。しかし、彼らのためにみ摂理が介入され、看守とその家族全員の改心は彼らが耐えなければならなかった恥辱と苦しみを贖ってあまりがあった。ピリピ人は、使徒たちのふるまいと思いのあり方にイエス・キリストの宗教の精神が代表されているのを見た。……
 彼らの不正な投獄と奇跡的な救出の知らせはその地域全体に広まり、使徒たちとその伝道は、そうでなければ届くことのなかった多数の人々の知るところとなった。キリスト教は高い地におかれ、信仰に改心した人々は大いに強められたのであった。(預言の霊3巻385, 386)

ブログ村ランキングに参加しています。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村