14キリストの容貌2
「そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。」黙示録1:14〜18
美しい白髪は老齢を示すものではなく、真の純潔を表したものである。炎のような目は罪を洞察看破し、これを除去する事を言ったものである。(黙示録19:12、出エジプト記24:17、エレミヤ17:10参照) 炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようとは、患難の炉を通過してより大いなる力を現すに至った事を伝えるものである。大水のとどろきのような声とは、調和、充実、荘厳、権威等を表示したものである。これと同一の事実をダニエルは「群集の声」(ダニエル書10:6)との表現で述べ、エゼキエルは1章の24節で両者を併用している。また右の手は権威、権力、巧妙を表示し、その携えている七つの星とは天使を象徴するものである。さらに鋭いもろ刃のつるぎとは神の言のことである。(エペソ6:17、ヘブル4:12、黙示録19:15参照)
またここに「顔は、強く照り輝く太陽のようであった。と記述されているが、罪の覆いの取り去られないうちは「輝く日」の力は知られないのである。しかし覆いを取り去られたキリストの御顔の輝きは真昼の太陽のように栄光に輝くものであるから、ヨハネが死人のようにその足下に倒れたのも無理からぬ事である。が、その時、生命と恩恵の源泉であるキリストはその御手を僕ヨハネの上に置き、「恐れるな」と言われ、彼に親切な慰めの御言を語られた。このように永遠に存在される生ける神であられる方は、はなはだしく疲れて力を失い、ついに倒れた使徒に慰めと力と生命を与えられたのであった。
なおこの時主は御言を続けられ、「生きている者である」と言われた。読者諸君も熟知しておられるように、我々の主イエス・キリストは、今を去る約2000年前にエルサレム郊外のゴルゴダにおいて十字架におかかりになったのであった。そして墓に葬られたが、ついに三日目によみがえり、やがて昇天されたのであった。永遠に生きられる神の御子が、何故このような死を遂げられる必要があったのかという事は、深い神秘的事実であり、一見矛盾するように思われるが、決してそのようなものではない。ここには浅はかな人知をもっては到底想像できない神の御心が存在しているのであるが、キリストの十字架上の死を要約していえば、それは全人類を罪より贖うためのものであったのである。もし我々がこの事実を信じ、彼に全的な信頼を捧げるならば、我々は死ぬべき運命であるにもかかわらず、キリストが死と黄泉とを征服して復活されたように、人類最大の敵である死に打ち勝つことができるのである。実にキリストの復活は、我々人類も死を征服して永遠の限りない生命に入ることが出来ることの保証である。彼はその神格と地位と体験とによって生死を定める最高決定者であり、かつその手中に黄泉と死の鍵を握っておられるのである。(ちなみにギリシャ語で黄泉とは墓の意味である) 。そして本章並びに使徒行伝、使徒の書簡等はこの事実を裏書きするものに他ならない。
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