「神の恵みはあらゆる苦悩を和らげる」

 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。」(ヨハネ15:1, 2)

 「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。」親木の幹を養うその同じ樹液と滋養分は、そのぶどうの木につながっている枝も養う。キリストは滋養、活力、生命、精神、力を分け与えるぶどうの木によってあらわされているが、それは枝が実を結ぶことができ、苦悩や失望が生じる時、あなたが世とはまったく異なった品性の実を示すためである。あなたがイエス・キリストとつながっているという証拠がある。それはあなたのあらゆる苦悩や失望また試練の中であなたを支える力があり、この力とこの恵みはあらゆる苦悩を和らげるからである。苦難の杯があなたの唇にふれることがあれば、そこには慰め主と助け主がおられる。慰めの杯が手の中に置かれ、それはあなたの人生で最も幸福な時となる。
 「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」……ここにわたしたち一人一人の魂にとって、真理の最も尊い宝石がある。ここに聖書の中でただ一つの神の選びがあり、あなたは忠実であることによってキリストに選ばれた者であることを証明することができる。ぶどうの木につながることによってキリストに選ばれた者であることを証明することができるのである。……
 すべての力、すべての実を結ぶ資質は親のぶどうの幹の中にあることを、キリストはわたしたちにはっきりと語っておられる。そうであれば、キリストにつながり、キリストから養分を吸っていようではないか。そうすればわたしたちは何を見るであろうか。わたしたちは何かを見、世も何かを見る。信じることと信じないことの間には、はっきりと一線が引かれており、神に従う者と従わない者の間には、はっきりとした区別がある。彼らが結ぶ実には、明らかにはっきりとした違いがある。……実は品性である。……
 あなたが持っているあらゆる能力、あなたが持っているあらゆる力、あなたの考える能力、あなたが持っているあらゆるタラント、あらゆる才能は、宗教生活に直接持ち込まなければならず、親切、同情、憐れみ深さ、神の愛は、生けるぶどうの木に接木をされた枝に結ばれた実である。そして豊かな房が……その枝からたれさがる時、最も実の多い房、最も豊かな房が示すものは、キリストのような、へりくだりの真の謙遜さを持っている。キリストは、わたしに学び、わたしのところに来なさいといわれる。今、わたしたちはみなこのみ言葉に聞き従おうではないか。これは話上手の人からの招待ではなく、イエス・キリストご自身からの招待である。(原稿43, 1894年)

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