45 第6章 ダニエル獅子の穴に投げ入れられる


 忠実な僕ダニエル

 「ダリヨスは全国を治めるために、その国に百二十人の総督を立てることをよしとし、また彼らの上に三人の総監を立てた。ダニエルはそのひとりであった。これは総督たちをして、この三人の前に、その職務に関する報告をさせて、王に損失の及ぶことのないようにするためであった。ダニエルは彼のうちにあるすぐれた霊のゆえに、他のすべての総監および総督たちにまさっていたので、王は彼を立てて全国を治めさせようとした。そこで総監および総督らは、国事についてダニエルを訴えるべき口実を得ようとしたが、訴えるべきなんの口実も、なんのとがをも見いだすことができなかった。それは彼が忠信な人であって、その身になんのあやまちも、とがも見いだされなかったからである。そこでその人々は言った、『われわれはダニエルの神の律法に関して、彼を訴える口実を得るのでなければ、ついに彼を訴えることはできまい』と。」ダニエル書6:1〜5

 
 バビロンはメデヤとペルシャの連合軍に占領され、メデヤの王ダリヨスが紀元前538年王位についた。それより2年後すなわち紀元前536年、ダリヨス王が没し、クロス王がこれに代わって王位に就いた。本章に記された事件は紀元前538年より536年の間に起こったのである。
 ダニエルはバビロンの全盛時代においてその主要人物であった。そしてその当時よりメド・ペルシャが世界的大帝国を建設するまで、彼はバビロンに定住していたものであろう。であるから彼はバビロン帝国に関する全ての事件によく通じていたはずである。彼はバビロンおよびペルシャ両帝国に仕えていた長い年月の間に起こった種々の事件を記録していない。ただ彼は各時代の神の民に信仰と望みと勇気を与え、彼らを正義に固く立たせることができると考えた2,3の事件を記録しているにすぎない。
 使徒パウロはヘブル11章において本章に記された事件を暗に指しているようである。すなわち彼は信仰によりあるものは「獅子の口をふさぎ」ましたと言っている。ダリヨスは当時全国が120州に分かれているので、各州に1名ずつの知事を任命した。ちなみにその後カンビセスおよびダリヨス・ヒスパスタスの勝利によって127州になった。(エステル1:1)そしてこれらの120州の地方長官を管理するのに、3人の監督が任命されたが、ダニエルはその首班であった。ダニエルが監督に任命されたのは彼の高潔な人格によったものである。すなわちその時までバビロン帝国の総理大臣であったダニエルは、ダリヨスから敵とみなされ、流刑あるいはその他の方法で厳罰に処せられるかもしくはその当時亡国の捕虜であった彼は罵詈嘲笑の的となったであろう。であるからこのような取扱いを受けず、かえって他の人々よりも優遇されたのは、洞察力のあったダリヨス王がダニエルの高潔な人格を認めたからである。それで他の監督また地方官たちはダニエルを妬み、どのようにしてでも彼を無きものにしようと計画したが、ダニエルの行動にはなんら過失がなく、公人としての彼は実に潔白でまたその職務に忠実であった。であるからさすがの彼らも訴える口実を発見することができなかったので、ダニエルの信じる神の律法を除いては彼を譴責する根拠がないと語り合った。これはダニエルに対する何という賛辞であろう。
 政治家としてバビロンおよびメド・ペルシャに仕えたダニエルの経験は、いかなる職務に従事しても不正直であったり、あるいは偽りを語る必要のない事を証明している。それと同時にあくまで廉潔であり、神の聖なる律法に服従することはただ霊的祝福だけでなく、この世の事においても祝福を受けることを証しするものである。ダニエルの高潔な人格に対しては、ネブカデネザルおよびバビロンの征服者であるダリヨスがこれを認めたばかりでなく、彼の敵たちにダニエルが全く過失がない事を認めさせるようになった。そして神は御言葉の中に我等と等しき情をもっている神の人ダニエルに過失のなかったことを記録している。すなわち彼は初めより終わりまでおべっかをいったり、贈賄をしたり、あるいはゆすったりして自己の利を求めようとする全ての誘惑に首尾よく打ち勝った。

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