「アブラハムと彼の子ら」

  「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」(ガラテヤ3:29)

 アブラハムについては、「彼は『神の友』と唱えられ」「信じて義とされるにいたるすべての人の父」としるされている……アブラハムは、非常に名誉ある召しを受けた。彼は、世界に対して、数世紀間にわたって神の真理の擁護者、また、保持者となる民族の父となり、その民族のなかから、地のすべての国々を祝福する約束のメシヤが来臨なさるのであった。(人類のあけぼの上巻143)
 アブラハムは、周囲の国々から、偉大な族長、賢明で力ある首長として尊敬された。彼は、隣人に自分の感化を及ぼさないようにはしなかった。彼の生活と品性は、偶像礼拝者たちと著しく異なっていて、真の信仰の非常によい感化を及ぼした。彼の神への忠誠は不動のものであるとともに、彼の親しみやすさと情深さは、人々の信頼と友情をかち得、彼の飾らない偉大さは、尊敬と栄誉を受けた。
 アブラハムは、宗教をひそかにしまっておいて、所有主がひとりで楽しむ秘宝のようなものだとは思わなかった。真の宗教は、そのようにしまっておけるものではない。そのような精神は福音の原則に反する。キリストが心のなかに住んでおられるなら、彼の臨在の光をかくすことも、あるいは、その光が暗くなることもあり得ない。かえって、魂にかかる自我と罪の霧が、義の太陽の明るい光に照らされて、日ごとに消されていくにつれて、ますます輝きを増すことであろう。
 神の民は、地上の神の代表者である。神は、この世界の道徳的暗黒のなかで、彼らが光になることを望まれる。彼らは、全国の都市や村々に散在した神の証人であって、神は、彼らを通して、神のみこころと神の驚くべき恵みの知識を不信の世界にお伝えになる。大いなる救いにあずかった者がすべて、主のための伝道者になるように神は計画された。クリスチャンの敬神深さを標準にして、世の人々は福音を評価する。忍耐強く試練に耐え、感謝して祝福を受け、柔和、親切、あわれみ、愛を習慣的にあらわすことなどが、世の人々の前で、品性から輝き出る光であって、生まれつきのままの心の利己心から出る暗黒との相違を示す。(同上133,134)

もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村