「神のご要求が第一である」

  「人間に従うよりは、神に従うべきである。」(使徒行伝5:29)

 わたしたちが担わなければならないメッセージは、わたしたちが伝えるのを嫌がるようにさせるメッセージではない。そのメッセージの支持者はそれを覆ったり、その由来と目的を隠そうとしたりはしない。神に厳粛な誓いをし、キリストの使者として任命された者として、また恵みの奥義の管理者として、わたしたちは神の完全な忠告を忠実に宣言する義務の下にいるのである。
 わたしたちは、世からわたしたちを分け、今あるわたしたちを形成した特別な真理を目立たないようにすべきではない。なぜならそれには永遠の関心事が伴っているからである。神は、今起こっている事柄に関してわたしたちに光を与えられたのであるから、わたしたちは筆と声によってその真理を世に宣べ伝えるべきである。(ゴスペル・ワーカー288)
 安息日は主の試金石であるから、王や祭司であろうが、支配者であろうが誰も神と人の間に入る権利はない。自分たちの同胞の良心になろうとする者たちは、自分たちを神の上に置いているのである。偽りの宗教の影響下にいる者たちや、偽りの休みの日を遵守する者たちは、真の安息日に関して最も明確な証拠を否定するのである。彼らは自分たちの作った律法、すなわち神の律法に真っ向から反対する律法に従うように人々を強要しようと試みるのである。……週の初めの日を遵守させようとする律法は、背教したキリスト教界の産物である。……どんな場合にも、神の民はそれに敬意を表すべきではない。(教会への証9巻234,235)
 その時以来、幾世紀にわたり、福音教会の創設者や神の証人たちが高くかかげてきた真理と宗教の自由の旗は、この最後の争闘においてわれわれの手にゆだねられている。……われわれは人間の政府を神が定められたものとして認め、合法的な範囲内でそれに従うことを、聖なる義務として教えなければならない。しかし、その要求が神のご要求と矛盾するときは、人間よりむしろ神に従わねばならない。神のみことばをすべての人間の法律にまさるものとして認めねばならない。「教会がこう言う」、あるいは「国がこう言う」ということのために、「主がこう言われる」ということを放棄してはならない。キリストの王冠は、この世の主権者の王冠より高くかかげられねばならない。(患難から栄光へ上巻68,69)

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