「地上の王国に勝った王国」

 「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。」(マタイ5:19)

 世の王国において最高に輝く特質は、キリストの霊的王国には存在する余地がない。社会的地位、階級、身分、富など、人々の間で高められており、その所有者に称賛をもたらすものは、霊的王国では尊重されない。主は、「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊」ぶ(サムエル記上2:30)と言われる。キリストの御国では、人はその人の敬虔によって区別されるのである。……
 天の御国は、どのような地上の王国よりも高位にあるのである。わたしたちが高い地位に就こうが、低い地位に就こうが、それはわたしたちの階級や健康や教育によって決められるのではなく、神の御言葉に対する服従の性格によるのである。利己心と人間の野心によって動かされ、一番偉い者になろうとして奮闘している者、うぬぼれが強く、誤りと間違いを告白することは自分を低くすることだと感じる者は神の御国にはふさわしくない。人が神の王族の一員として誉れを受けるか否かは、この世において彼らにもたらされる神からの試練と試験をどのように耐えるかによって決定されるのである。自己否定をしてこなかった者、他人の悲しみに対して同情を示さなかった者、愛という尊い属性を培わなかった者、この世において忍耐と柔和を示さなかった者は、キリストが来られる時変えられることはない。……
 わたしたちがいま示している品性が、わたしたちの将来の運命を決定しているのである。天の幸福は神の御心に一致することによって見出される。そして、もし人が天の王族の一員となるとすれば、それはその人にとっては天が地上において始まったからである。彼らはキリストの思いを抱き、「子よ、もっと高く上ってきなさい」という呼びかけが来る時、義なる者はすべての恵み、すべての尊く清められた能力を天の宮廷に携えて行き、地上の代わりに天を得るのである。神は、誰が地上のご自分の御国において忠実で真実な臣民であるかをご存じであり、御心が天に行われるように、地にも行う者は、天にある王族の一員とされるのである。(レビュー・アンド・ヘラルド1895年3月26日)

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