「王族の生まれ」

 「わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。」(コリント第二6:1)

 クリスチャンであると公言している者の多くは、クリスチャンではない。……神は、まずこの世においてキリストの恵みによって聖徒とされ、キリストが彼らの内に実証されているということをご自分が見ることができる者たちだけしか天に連れて行かれない。……
 「主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである」(ヤコブ5:11)。……このお方はご自分が贖われた遺産をあわれみをもってご覧になる。このお方は、もし彼らがご自分にすべてを明け渡し忠実になるならば、彼らの罪をすぐ許そうとされる。神ご自身が義となり、さらに罪人を義とするために、神はご自分の愛するひとり子の上に罪の刑罰を置かれた。……神はキリストのゆえにご自分を恐れる者を許される。神は彼らの中に罪人の悪を見られない。神は彼らの中に彼らが信じる御子の姿を認められる。このようにしてのみ、神はわたしたちを喜ぶことがおできになるのである。「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネ1:12)。
 キリストの贖いの犠牲がなかったなら、わたしたちの内には神が喜ぶことのできるものはなにもなかったであろう。人に生まれつきあるすべての良い資質は、神の目には価値のないものである。神は自分の古い性質を持ち続け、知識と知恵が新たにされず、キリストにあって新しい人とならない人をお喜びにならない。わたしたちの教育、タラント、財産は神がわたしたちに委ねられた賜物であり、わたしたちはそれによって試されるのである。もしわたしたちがそれらを自分を高めるために用いるなら、神は「わたしはそれを喜ぶことはできない。なぜならキリストの死が無駄になるからである」と言われる。……
 わたしたちは、わたしたちの救い主、キリストの教えをより印象的にするために、キリストに宿っていた心と同じ心を持たなければならない。わたしたちの好き嫌いや、他の人々に害を与える自己愛を求める心は、克服されなければならない。あなたの心を神の平和に支配してもらいなさい。キリストはわたしたちの心の中で、生きて働く原則でなければならない。……
 神に従うことによって、神の愛する御子によって買い取られた所有物として自分自身を重んじなさい。この働きは永続する働きである。……神の息子、娘であるわたしたちは、わたしたちが王族の生まれであることを忘れるのであろうか。そうではなく、わたしたちは主と救い主イエス・キリストを尊ぼうではないか。わたしたちは暗闇から驚くべきみ光に招き入れてくださったお方をほめたたえようではないか。(レビュー・アンド・ヘラルド1897年8月24日)

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