「キリストの御国にあずかる者」

 「それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。」(ルカ22:29,30)

 これはなんという約束であろう!キリストに忠実な者たちは、キリストがご自分の御父から受けた御国の共有者となるのである。これは霊的な御国であり、そこでは自分たちの兄弟に仕えることにおいて最も活動的な者たちが最も偉大な者である。キリストの指示の下において僕は、このお方の御国の業務を管理するのである。彼らはこのお方の食卓で飲み食いするのであり、それはこのお方と近く交わることを許されることを意味する。(レビュー・アンド・ヘラルド1907年7月4日)
 世的名誉と栄光を求める者たちは、とんでもない間違いをしている。み座においてキリストに最も近く座る者は、自己を否定し他の人々に優先権を与える者である。心を読まれるお方は、ご自分の謙遜で自己犠牲的な弟子たちが持っている真の価値をご覧になられ、その価値の故に、このお方は卓越した地位に彼らを置かれるが、彼らは自分たちの価値を悟らないので尊敬を求めないのである。……
 神は外見の飾りや誇りを尊重なさらない。この世において他の人々より優れていると見なされている多くの人々は、いつの日か神は同情と自己否定に従って人々を評価されるということを理解するのである。……良いことをして巡り歩かれたお方の模範に従い、自分たちの同胞を助け祝福し、いつも彼らを立ち上がらせようとする者たちは、神の御目には自分たちを高める利己的な者たちよりも限りなく尊いのである。
 神は人々を能力に従って受け入れられない。そうではなく、彼らが神のみ顔を仰ぎ、このお方の助けを望むから受け入れられるのである。神が見られるところは人とは異なる。神は外見によって人を判断されない。このお方は心を探られ、正しく裁かれる。……
 神はご自分の謙遜で気取らない弟子たちを受け入れられ、彼らと交わられる。神は彼らの中に、嵐や暴風、熱や圧力に耐える最も尊い資質をご覧になられる。主のために働くわたしたちの目的は、このお方のみ名が罪人の改心によって栄光を受けられるようにということである。……
 主は彼らの学識や学歴によって、ご自分のぶどう畑にいる働き人を量られることがないということを喜ぼう。木はその実によって見分けられる。主は、ご自分に協力する者たちに協力されるのである。(同上)

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