49「ダビデの鍵」

 我等の主イエス・キリストの御品性は聖なるものであり、全ての純潔は彼より来るのである。彼はまた真理であるがゆえに真実である。(ヨハネ14:6参照)彼はまたイスラエルの王「ダビデの鍵を持つ者」といわれている。鍵は権威の象徴である。ダビデの位はキリストの生誕前すでに彼に約束されたところのものである。しかしながらこの権威とダビデの位とは、いままで地上にあった王権や位などとは異なっている。天使ガブリエルはキリストの生誕前その母マリアに「彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(ルカ1:32、33)と発表した。そのとおりキリストはまさに当然かれに属する権威を執り、エルサレムを首府とする新天地を統御しようとしておられる。(黙示録22:1〜5)ダビデの鍵の約束(イザヤ22:22)は、キリストにおいて完全に成就した。すなわち「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」(イザヤ9:6、7)と。ダビデの鍵と位とは最高の世界的権力を意味するものである。全能者なるキリストに属する者の幸福はいかばかりであろう。この鍵はキリストに属するものであり、天国の戸を開き、あるいは閉じる者は彼のみである。彼は地上における何人にもその権威を与えておられない。福音宣伝者の努めは天国の戸を開き、あるいは閉じることではなく、単に福音を全世界に宣伝するにとどまるのである。

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