55「アーメンの意義と真の証人」

 各教会に対してそれぞれ最も適切で有意義な名称をもって語られているキリストは、この最後の教会に対して「アーメンたる者」として語られた。クリスチャンはしばしば祈祷の際にもちいるアーメンというこの不思議な語の意義を尋ねられるがその中には深い意義がと祝福された確証があるのである。そもそもこれはヘブル語の「真」なる意義の語を意訳したものであるが、祈祷の終わりにこの語を用いるのは「祈ったとおりになるように」というのと同じで、陳述した祈祷の聞かれる事を切望するものである。(詩篇106:48、コリント第一14:16)なおこの同じ言葉がヨハネ福音書の中には「よくよく」と訳してあり、イザヤ書には「真実」と訳されている。(ヨハネ3:3、12:24、イザヤ65:16参照)
 神は各時代における御自身の御計画をもれなく確実に遂行されたが、これはまた現時代ならびに将来における神の御計画の成就をも立証するものである。(第二コリント1:20)実に主においては危険はない。我等は主にさえ信頼していれば安全である。また神は公平無私の目をもって我等の品性を見られる。我等の心中に巣食う罪を癒す力はただキリストからいただくものより他にない。それはキリストのみが真実であるからである。彼はアーメンたる神であり、「忠実な真の証人」である。彼はまた「神に造られたものの根源」と言われているが、実に万物はキリストを通して創造されたのである。「万物は、御子によって造られ」(コロサイ1:16)。おもうに現代の教会にご自身を紹介されるにあったって、これ以上に適切な言葉を用いる事は出来なかったであろう。現代の教会は最も危険な進化論に降服している。元来この進化論は完全に立証し得ないのみならず、真の帰納的研究によればその非なる事を明証しているにもかかわらず、近代煩瑣哲学の影響をこうむったキリスト教会の大部分はそれをうのみにしてしまっている。このような進化論的思想が広まっている時代の教会に対する使命の中に、神が万物の創造者である事を力説している事は、真に当を得た事であろう。実に神こそ万物の起源であり、決して星雲やアメーバーではない。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである」(ヘブル11:3)。キリストは唯一の始めであり、また創造主であるばかりでなく、彼は今もなお「その力ある言葉をもって万物を保っておられる」(ヘブル1:3)お方である。


もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村