「キリストのみ名がわたしたちの合言葉」

 「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。」(ヨハネ14:13)

 わたしたちは、キリストを通して嘆願を恵みの座に提示することができる。わたしたちは無価値な者であるが、このお方を通して、あらゆる霊的祝福を得ることができる。(教会への証5巻221)
 創造主に、あなたの求めを申し上げなさい。砕けた心をもって、神に来るものは、だれ一人しりぞけられることはない。心からの祈りは、決して消えてしまうものではない。天の聖歌隊の賛美を受けておられる神は、弱々しい人間の叫びをも聞かれる。わたしたちが、へやの中で心の願いを申し上げたり、あるいは、道を歩きながら祈ったりすると、そのことばは宇宙の王のみ座にまで達する。それはだれの耳にも聞こえないであろうが、消え去ってしまったり、忙しい仕事に取りまぎれて、なくなったりしない。何も、人の心の願いを消し去ることはできない。祈りは街頭の騒音や群衆の混雑をこえて、天の宮廷へと上っていく。わたしたちが語りかけているのは、神である。そして、神は、わたしたちの祈りを聞かれるのである。(キリストの実物教訓155)
 「わたしの名によって願い求めなさい」とキリストは言われる。……キリストは神と人をつなぐ環である。彼はご自分のみ名を用いることによる、個人的な執り成しを約束なさった。キリストはご自分の義のすべての徳を、嘆願する者の側に置かれる。キリストは人のために懇願なさる。そして天の助けを必要としている人は、世のために命を与えてくださったお方の功績に頼って、神のみ前に自分自身のために懇願する。わたしたちがキリストの功績を感謝していることを神の前で認めると、芳香がわたしたちの祈りに加えられる。わたしたちがキリストの功績の徳によって神に近づく時、キリストはわたしたちをご自分のそば近くにおいて、人としてのその腕でわたしたちを抱きかかえてくださり、一方神としてのその腕は無限の神の御座をつかまれる。……
 しかり、キリストは人と神との間の祈りの仲介者になられたのである。キリストはまた、神と人との間の祝福の仲介者ともなられた。……
 祈りなさい。動くことのない信仰と信頼をもって祈りなさい。契約の天使であられるわたしたちの主イエス・キリストは、信者の祈りが受け入れられるのを保証する仲保者であられる。(教会への証8巻178,179)

もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村