56「霊的になまぬるい状態」

 ラオデキヤの教会は最も危険で恐ろしい、霊的になまぬるい状態である事が非難されている。彼らは無頓着で、自負心が強く、傲慢で、無気力で、神の忌み嫌われる状態にいた。神の愛と驚くべき真理、すなわち各時代の真理がことごとくこの時代に焦点を結んでいたのであるから、キリスト教会の各員は自己満足に陥らないで、信仰と愛と熱心とに燃えていなければならなかったはずである。なまぬるいより冷たい方が優っている。なぜなら冷たい状態にいる者は、いつかは自己の欠乏を悟る時があるからである。神は「安らかにシオンにいる者」(アモス6:1)および「滓の上に凝り固まり」(ゼパニヤ1:12)、すなわち自己の精神生活に自負心を感じ、いよいよ向上をはかる事をせずに惰眠をむさぼっている者に対して「災いなるかな」と言っている。全てのクリスチャンは罪との戦いにおいて第一線に立たなければならない。世界は罪悪に沈み、悲惨を極めている。全世界の住民に対して来たるべき全能者の審判に関する警告を与え、「炎の中から取り出された燃えさし」(アモス4:11)を取り出すように彼らを救わなくてはならない。神の御事業は急速になされなければならないにもかかわらず、教会は依然としてなまるい。しかもこれが一般教会の現状であるとは何と悲しむべきことではないか。

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