「わたしたちの絶えざる依存」

 「主はみくらに座して、とこしえに王であらせられる。主はその民に力を与え。」(詩篇29:10,11)

 恵みの御座にわたしたちは絶えず依存している。……キリストの内にわたしたちの力がある。キリストは御父の前での仲保者であられる。キリストは御心をご自分の民に伝えるために、使命者をご自分の領土の至る所に送られる。このお方はご自分の教会の間を歩かれる。このお方はご自分の弟子たちを聖化し、向上させ、高尚にすることを望まれる。このお方を本当に信じる者たちの影響は、この世にあって命の香りとなる。このお方はご自分の右手に星を持たれ、この星を通して世に光を輝かすことがこのお方のご目的である。そのように、このお方は天上の教会におけるより高尚な奉仕にご自分の民を準備することを願われる。このお方はわたしたちに偉大な働きを与えられた。正確さと決心とをもってそれを行おう。真理がわたしたちのためになしたことが何であるかを、わたしたちの生活の中に示そう。
 「七つの金の燭台の間を歩く者」(黙示録2:1)というこの聖句は、教会に対するキリストの関係を示している。このお方は、地上の至る所にある教会の間をくまなく歩かれる。このお方は、ご自分の御国を進展させることができる霊的な状態にあるかどうかを見ようと、大いなる関心をもって彼らに注目しておられる。キリストは、教会のすべての集会に臨在される。キリストはご自分の奉仕につながっている一人一人をご存じである。このお方は誰の心を聖なる油で満たすことができるかをご存じであり、彼らはそれを他の人々にも分け与えるのである。この世でキリストの働きを忠実に進展させ、言葉と働きにおいて神のご品性を表し、自分たちに対する主のご目的を果たしている者たちは、このお方の目には非常に尊いのである。手入れの行きとどいた庭と自分が植えた花の香りを喜ぶように、キリストも彼らを喜ばれる。(教会への証6巻418,419)
 どの燭台も教会も自分で輝くのではない。キリストから、その光のすべてが発せられている。今日の天の教会は、地上の教会を補って完全にするものにすぎないが、それはより高く荘厳であり、完全である。同様の神の光が永遠にわたって続くのである。全能の主なる神と小羊がその光である。もし神の御座から受ける栄光を放たなければ、光を持つことのできる教会はない。(SDAバイブル・コメンタリー6巻1118)


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