「全面的な占有」

 「キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。」(ガラテヤ5:24)

 わたしたちは、情と欲と共に自分の肉を十字架につけなければならない。ではどうすればよいか。からだに苦痛を加えるべきであろうか。加えてはならない。だが罪の誘惑にとどめをさしなさい。堕落した思いを追い払いなさい。すべての思いをイエス・キリストの中にとりことしなさい。……神に対する愛が最高に支配していなければならない。キリストは分裂していない王座にすわりたまわねばならない。わたしたちのからだは、キリストに買い取られた財産であると考えねばならない。からだの各部分は義の器とならなければならない。(アドベンチスト・ホーム131,132)
 この世には二つの王国がある、一つはキリストの王国であり、もう一つはサタンの王国である。この二つの王国のうち一つに、わたしたちすべての者が属している。ご自分の弟子たちのための素晴らしい祈りの中で、キリストは言われた、「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」(ヨハネ17:15-18)。
 わたしたちがこの世から引きこもることは、神のみ心ではない。しかし、この世にいる間、わたしたちは神に自分自身を聖別すべきである。わたしたちは世を模範とすべきではない。わたしたちは人々を正す感化を与える者として、またその味を保っている塩としてこの世にいるべきである。汚れ、不純で偶像崇拝的世代の中で、わたしたちは純潔で清くあるべきであり、キリストの恵みは、人の中に神のかたちを回復する力があるということを示すのである。わたしたちは世に救いの感化を及ぼすべきである。……
 世は罪というらい病院、堕落の大衆になってしまった。……わたしたちは、世の方法を行ったり、その慣習に従ったりしてはならない。わたしたちは絶えず、その緩慢な原則に抵抗しなければならない。……
 恵みという祝福が人に与えられている。それは全宇宙と堕落したことのない世界が、ほかの何物でもないキリストの品性の完全を見ることができるためである。偉大な医者であるお方は、ご自分の恵みによって、男女が神の大いなる日に「あなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである(英訳:完全なのである)」という尊い証を受けることができるように生きることができるということを示すために来られたのである(コロサイ2:10)。(健康への勧告591-593)


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