86「天使ガブリエルの来訪」

 「わたしがこう言って祈り、かつわが罪とわが民イスラエルの罪をざんげし、わが神の聖なる山のために、わが神、主の前に願いをしていたとき、すなわちわたしが祈りの言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、」ダニエル9:20、21
 ここにダニエルの祈りの結果が記してある。彼がまた祈っている時に天使が現れた。すなわち幻の初めにおいてダニエルにふれた天使ガブリエルが前のように人のようなかたちをもって再び現れたのである。ここにおいて最も重大な問題を解決することが出来る。それは第8章の幻が全部解釈されたかどうかという事と、もう一つはこの幻が理解できるかどうかという問題とを解決することが出来るのである。ダニエルが「わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、」と言ったのは、何の幻をさしていったのであろうか。この幻はこれより先に記録された幻であって、しかもそれは何かガブリエルの関与した幻であるという事は全ての者が理解することであろう。そしてそれは9章以前の記録でなければならない。なぜならば9章の初め、すなわちガブリエルの現れた事の書いてある前の記事は、ことごとくダニエルの祈りの記録だからである。
 さて8章までの記録を回想すれば、その間にダニエルに与えられた幻は三つある。すなわち第一はネブカデネザルの夢の解き明かしで、夜の幻の中で与えられたものである。(ダニエル2:19参照)しかしそこには天使のことは一つも記されてない。第二は第七章の幻である。この幻は、「そこに立っている者のひとり」(それは天使であったであろう)によって説明された。しかしそれがこの天使であったかという事については示されていない。のみならず第7章の幻はことごとく解き明かされたのであるからこれ以上の説明を要しないのである。第三は第8章の幻であるが、我等はここに9章において「初めに幻のうちに・・・」といわれたのがこの幻をさしたのである事を知るに足る二、三の理由を発見することができる。第一、ダニエル書においてガブリエルの名があげられたのは8章が最初であること。第二、ガブリエルはダニエルにこの幻を悟らせるようにと命じられた任務を全うしていなかったのである。そしてもしその解き明かしが第9章でなされなかったならば、聖書中どこにもこの解き明かしの記してあるところはないのである。であるからもしその解き明かしが第8章の幻を指しているのでなかったならば、ガブリエルは彼に命じられた職責を果たさなかったことになり、かつまた第8章の幻は全然解き明かされなかったことになるのである。第四、我等は第9章22節以降において天使が説明した事によって、第8章に説明されなかった部分がことごとく説明されていることを発見するであろう。以上のように考察する時にダニエル書第8,9両章の間に密接な関係がある事を悟り得てあまりある。そしてこの結論は天使の説明を研究することによってさらに確証されるのである。

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