「重荷を負う者を支えるために」

  「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(詩篇55:22)

 最も弱い、最も目だたない者でも日常くり返している苦労のうちに神と共に働く者となり、神の臨在とささえの力による慰めを受けることができる。たえず心配し、不必要な心労によって自己を疲労させてはならない。一日一日、こつこつと働き、神の摂理に示された仕事を忠実に果すようになさい。そうすれば、神は確実に守ってくださる。……
 神の保護はいっさいの被造物の上に及ぶものである。神はすべてのものを区別なく愛されるが、生涯に最も重い重荷を負わされている人を一番優しくおあわれみになる。(ミニストリー・オブ・ヒーリング175,176)
 どんな望み、喜び、悲しみ、わずらい、恐れもみな神の前におきましょう。なにをもってきても重すぎたり、神を疲れさせたりすることはありません。頭の髪の毛でさえ数えたもう神は、子らの必要に無関心ではおいでになりません。……心をわずらわすことはなんでも神に申し上げましょう。神は諸世界をささえ、全宇宙のすべてを支配したもうのですから、神にとって大き過ぎてささえきれぬというものはないのであります。私どもの平和にかかわることであったならばどんなことでも、小さすぎてお気づきにならないということはありません。私どものどんなに暗い経験も、暗すぎてお読みになれないということはありません。またどんなに難問題でも、神には解釈できないということはありません。神の子らのいと小さき者にふりかかる災も、心を悩ます不安も喜びの声も、くちびるからほとばしる真剣な祈りも、天の父はことごとく注意し、深い関心を払いたもうのであります。「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」(詩篇147:3)。神と各々の魂との関係は、あたかも神がただそのひとりのために愛するみ子を与えたもうたかのごとくに、はっきりとした完全なものであります。(キリストへの道137,138)
 主は、誰にも負うことのできないほど重い重荷を負わされることはない。このお方は、ご自分の共労者の心に置かれる前に、すべての重さを量られる。わたしたちの愛情深い天父は、ご自分のすべての働き人に「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる」と仰せられる(詩篇55:22)。重荷を負う者は、主が大小にかかわらず、すべての重荷を持ち運ばれるということを信じよう。(教会への証7巻297)

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