103「7週と62週および1週」

 
 70週の期間は、7週、62週、および1週の3期間に区割りされている。そして最初の7週間すなわち49年の間に、神殿、市街および城壁とが建て直されたのである。次の62週すなわち434年後にメシヤたる君が現れるというのであるが、70週の期間は62週の後には僅かに1週間すなわち490年の中7年が残っているのみであるから、一見してメシヤなる君の現れるのは紀元27年の半ばである事がわかる。そして歴史はその年がちょうどイエスの教師および治癒者としての公生涯に入られた年であることを証明している。イエスは公生涯の始めにおいてバプテスマを受け聖霊を注がれた。そしてこの時からイエスは真の意味においてメシヤ(油注がれた者)となられたのである。
 天使ガブリエルは次のように言った。「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。・・・彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」ダニエル9:26上句、27上句)
 「メシヤは断たれるでしょう」とはキリストの十字架を意味するのでしょう。ユダヤ人の捧げたいけにえと供え物とはことごとくキリストの死をさしていたのである。であるからキリストが死ぬと同時にこれらのいけにえと供え物は無論必要がなくなってしまった。キリストは3年半の公生涯の後に十字架に釘付けられた。すなわちキリストは天使ガブリエルの語ったように、62週の後、ちょうど1週の半ばに断たれていけにえと供え物とを廃したのである。
 そして70週全部がユダや人に与えられていた。しかし70週はキリストの死後なお3年半残っていた。天使ガブリエルは「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう」といったので、半週の間ではない。キリストは3年半の間ユダヤ人のために働き、その後3年半の間弟子たちが彼等のためにのみ働いた。彼らの説いた福音によって契約が固くされたのである。であるからキリストと弟子たちの働きによって救いの福音は満7年の間ユダヤ人にのみ伝えられたのである。そしてその期間の終わりにユダヤ人は最も有力なクリスチャンであったステパノを石で打ち殺した。聖書に「ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」(使徒行伝8:1下句)とある。すなわちこの時から福音は全世界に速やかに宣伝された。そしてクリスチャンの態度はパウロの言葉の中に次のように示されている。「するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。パウロバルナバとは大胆に語った、『神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。主はわたしたちに、こう命じておられる、「わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである。」』(使徒行伝13:45−47)
 このようにして70週は終わり、もはや福音はユダヤ人のみの専有物ではなくなったのである。ユダヤ人は真の神の知識を隣人に与え得なかった。そして彼らは彼等に与えられた特権の期間の終わりにおいて彼らの待望していたメシヤを拒み、彼を殺したこととキリストがその弟子たちに命じてユダヤ人に伝えようとした救いの使命を拒み、この使命を宣伝する者を迫害し、殺すことによって罪の杯を満たした。これらの使命宣伝者がユダや人を捨てて一度異邦人に福音を述べ始めるや、福音は非常な勢いで全世界に普及するに至ったのである。

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