「日毎の必要のために」

  「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。」(ピリピ4:19)
 あらゆる祝福は、イエス・キリストと生きたつながりを持っている者に与えられる。イエスがわたしたちをご自分のもとに呼ばれるのは、単にわたしたちを数時間このお方の恵みとご臨在によって元気づけてから、ご自分の光の中から離れて悲しみと闇の中に歩むために送りだすためではない。そうではなく、このお方は、わたしたちがご自分と共に、ご自分がわたしたちと共に生きなければならないと言われる。……絶えずこのお方に信頼し、このお方の愛を疑ってはならない。このお方は、わたしたちの弱さとわたしたちの必要をご存じである。このお方は、その日に必要な恵みをわたしたちに与えられる。(神のむすこ娘191)
 恵みを絶えず新たに受けている者たちだけが、日常の必要に応じて、また力を用いる彼らの能力に応じて、力を受けるであろう。霊的な力が特別に賦与されて、やがて救霊のために驚異的な装備を受ける時が来るのを待ち望むのではなく、彼らは、神の御用にふさわしい器としていただくために、日ごとに神に従っている。彼らは手の届く範囲にある奉仕の機会を毎日利用している。家庭の地味な仕事をしていても、あるいは、有用な社会の職場にいても、どこででも彼らは主のためにあかしを立てている。
 キリストでさえこの地上でのご生涯に、毎日必要な恵みを神に求められたということは、献身的な働き人にとって、すばらしい慰めである。神とのこの交わりから、イエスは力を受けて、人々を力づけ、祝福するために出て行かれた。……
 キリストの模範に従う働き人はみな、地上の収穫物を実らせるために神が教会に約束された力を受け、これを用いるために備えをする。朝ごとに福音の使者が主の前にひざまずいて、献身の誓いを新たにするとき、神は信仰を覚醒させ、きよめる力をもった聖霊の臨在をお与えになる。日々の勤めに出かけるとき、彼らは見えない聖霊の力によって「神と共に働く者たち」となることができるという保証を受けるのである。(患難から栄光へ上巻52,53)

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