104「2300の夕と朝」


 以上の研究によって70週に関する預言は明瞭になったことと思うが、前章すなわち第8章の研究においてその解説を保留してあった同章第14節の「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」の説明に入ろう。もっとも最初に読者の了解を得ておきたいことは、原語によるとこの聖句は「彼は私に言った、2300の朝夕を重ね、その後に聖所は清められる」となっていて「その正しい状態に・・・」の語句は日本語訳の方が余分に挿入したことになっているのである。
 読者はこれまでの研究によって70週の始まった年はまた2300の夕朝の始まった年である事を悟られたであろう。そして我等はすでに70週は紀元前457年の半ばに終わった事を容易に計算する事が出来るのである。
 しかしその2300の夕朝の終わる年がわかっても、もしその時に起こる事件がわからなかったならば何の役にも立たないのである。ゆえに「そして聖所は清められる」との言葉の意味を明らかに悟る必要があるのである。聖所とその奉仕については天使ガブリエルがあらためてダニエルに説明する必要はなかった。しかし我等がこの言葉を了解しようとするならば、先ずユダヤ人の宗教的儀式を学ぶ必要がある。
 さて、ダニエルの時代より約1千年前ユダヤ人はエジプトに奴隷となっていた。そしてモーセの指揮の下に彼らはエジプトより導きだされた。そして神が彼等の中に住まれるためにまた彼らが秩序正しく神を礼拝することができるために、聖所を造れと命じられたのである。この幕屋はシナイ山において神がモーセに示された型に全く違いがないように造られていて、その内部は実に荘厳であった。すなわち器具および壁は固いアカシヤで造られその上を純金でおおってあった。また天上と幕には美しい刺繍がしてあって、天使が現してあった。これは全てのおぼろげながらも天の聖所の栄光を反射したものである。その後イスラエル人がカナンの地に定住した時、ソロモン王はその幕屋の代わりに壮麗な神殿を建てたのである。幕屋も神殿も共に2室からできていた。すなわち聖所は拝殿に、至聖所は奥の院に該当するものであった。聖所の戸の外に大いなる銅の祭壇があった。拝殿である聖所の中には七つの枝のある純金の燭台、12の備えのパンを備える金でおおわれた机、聖所と至聖所を隔てた幕の前に置かれた純金でおおった香をたく壇があった。また至聖所の中央には契約の箱があった。そしてその上におかれた贖罪所は神の御座を代表し、またその箱の中には二枚の石の板に記された神の十誡が納めてあった。そして人々は彼等の全ての礼拝と日常生活の中心はただ一人の神とその律法である事を教えられた。また律法の箱の上に置かれた二人のケルビムすなわち天使によっておおわれていた純金の贖罪所は、神の律法を犯した罪人が永遠の刑罰を免れ得る事を意味したものである。贖罪所はこの救いの意味であった。幕屋における全ての儀式およびいけにえのみならず、幕屋の各部分それ自身が、我等を救うためにカルバリーで流された我等の救い主なるキリストの血をさしていたのである。すなわちユダヤ教の全制度が福音の精密な預言であったのである。であるから我等は今日福音と我等の関係および世界の運命と神の教会の凱旋等の問題を理解するために是非ユダヤ教の制度を研究してみなければならないのである。
 古代、ユダヤ人はいつでも神に対して罪を犯した事を認識した時には、定められた獣のいけにえを幕屋の入り口に携えてきて罪を告白した。そして獣は殺され、屍は銅の祭壇の上で焼き、少しの血は聖所の中に携えられて香をたく純金の壇に注がれたのである。この血の香りは日毎にたかれた香の煙と共に幕の奥の至聖所に入っていった。このようにしてユダヤ人の懺悔した全ての罪は型によって幕屋の至聖所に移されたのである。
 以上は毎日行われた儀式である。毎年一年に一回7月10日に普通の日と違った儀式が行われた。それを聖所の清めと称していた。その日には二匹の山羊を選び、くじをひいて一つはキリストを代表し、一つは悪魔を代表した。そしてキリストを代表する山羊を殺し、祭司長はその血を至聖所に携え入り、そこにある契約の箱の前に注いだ。そして祭司長が至聖所より出て来た時、それは型においてユダヤ人が一年の間に告白して至聖所に移されていた全ての罪を自ら負って出て来たのであった。そこで祭司長は悪魔を代表する山羊の上に手を置き、イスラエルの子孫の諸々の悪事とその諸々のそむいた罪をことごとくその上にいいあらわしてこれを山羊の頭にのせ、選ばれた人がそれを荒野に送った。そして山羊は罪を負ってそこで死んだのである。(レビ16章参照)


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