「最も罪深い者を引き上げるために」

  「神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」(ヤコブ4:6)

 マリヤは非常に悪い罪人としてみられていたが、キリストは、彼女をそうした生活に追いやった事情をご存じだった。主はマリヤの魂から望みのともし火をすっかり消してしまうこともおできになったのであるが、そうはなさらなかった。マリヤを絶望と滅亡から引きあげたのはイエスであった。彼女の心と思いを支配していた悪魔を責められるイエスのことばを、彼女は七回聞いた。彼女は、自分のために天父に祈ってくださるイエスの強い叫びを聞いた。彼女は、イエスのけがれない純潔さのうちにあって罪がどんなに憎むべきものであるかを知り、キリストの力によって勝利したのだった。
 マリヤの問題が人間の目には絶望的に見えた時にも、キリストは彼女のうちに善への可能性をごらんになった。キリストは彼女の性格のよい面をごらんになった。あがないの計画によって、人類は大きな可能性をさずけられていたので、こうした可能性がマリヤのうちに実現されるのであった。キリストの恵みを通して、彼女は、神の性質にあずかる者となった。堕落し、心が悪霊の住み家となっていた者が、まじわりと奉仕を通して救い主に近づけられた。イエスの足下にすわって、イエスから学んだのはマリヤであった。イエスの頭に貴重な香油をそそぎ、イエスの足を涙で洗ったのはマリヤであった。マリヤは十字架のそばに立ち、イエスについて墓に行った。マリヤは、イエスの復活ののち一番さきに墓にいた。よみがえられた救い主のことを一番さきに言いひろめたのはマリヤであった。
 イエスは、ひとりびとりの魂の事情をご存じである。自分は罪深い者だ、とても罪深い者だとあなたは言うだろう。あるいはそうかも知れない。しかしあなたが悪ければ悪いほど、イエスが必要なのである。主は泣いて悔い改める者を決してしりぞけられない。……主は、ふるえている魂に勇気を出しなさいと命じられる。主はゆるしと回復とを求めてみもとに来るすべての者を心よくゆるしてくださる。……
 イエスを避け所として求める魂を、主は告発とことばの争いから高めてくださる。だれも、またどんな悪天使も、このような魂を訴えることはできない。キリストはそうした魂をご自身の神また人としての性質に結びつけられる。(各時代の希望中巻395-397)
 キリストの属性を表すために、確固とした忍耐をもって励む者に、天使は、このお方の品性と働き、このお方の力と恵みと愛についてもっと広い見解を与えるために任命を受けている。このようにして、彼らはこのお方の性質を受け継ぐ者となるのである。(教師、両親、生徒への勧告491)

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