「クリスチャンの飾り」

 「あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。」(ペテロ第一3:3,4)

 見るものすべてを美しく素晴らしく造られた神は、美を愛されるお方である。柔和で、しとやかな霊という飾りは、このお方の御目には高価なものである。(教会への証3巻376)
 キリストの美しさに比べれば、金や真珠や高価な衣装はなんと価値のないものでしょう。自然の美は均斉美から成っています。あるいは互いに各部が調和した釣合の中にあるものです。しかし、霊的な美しさは、イエスとわたしたちの心が調和していること、またはわたしたちの心がイエスに似ているということにあるのです。それがその心の持ち主を精金やオフルの金の延べ棒よりも尊くするのです。キリストのやさしさは実に何物にも代え難く尊い飾りです。それはその持ち主を高め、気高くし、栄光の輝きを他の人々に反映します。そしてその人々を光と祝福の源である方にひきつけるのです。(家庭の教育456,457)
 わたしたちの外観はすべての点において、さっぱりしていて、控え目で、純潔さが目立っていなければならない。神は、わたしたちがただ流行のためだけに、すなわち世間の人たちと同じように見られたいために衣服を変えることを承認なさらない。クリスチャンはぜいたくな衣服や高価な装身具で身を飾ってはならない。……
 キリストの恵みを熱心に求める者はだれでも、神の霊感による尊い教えのみことばに注意しなければならない。服装のスタイルでさえも、福音の真理を表わすのである。(教会への証6巻96)
 美を愛し、それを望むのは正しいことである。しかし神は、われわれが、まず最高の美、すなわち朽ちることのない美を、愛し求めるよう望んでおられる。どんな外面の飾りも、価値や美しさにおいて、「柔和で、しとやかな霊」、この世のすべての聖なる者たちが着る「純白で、汚れのない麻布の衣」と比べることのできるものは何もない(黙示録19:14)。この衣装は彼らを、この世においては美しく、愛される者とし、きたるべき世では、彼らが神の宮殿に入るためのしるしとなる。(患難から栄光へ下巻223)

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