「なぐさめをもたらす」

  「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」(コリント第二1:4)

 主は悲しむ者に特別なめぐみをもっておられる。その力は心を溶かし、魂を捕えるのである。主の愛は、痛み傷ついた魂に通路を開き、悲しむ者をいやす香油となる。(祝福の山16)
 最も多く悲しみを経験した者は、多くの場合、最も他の人々に慰めをもたらし、行くところではどこでも日光を持っていく者である。そのような者は、自分たちの苦難によって鍛えられ、和らげられているのである。彼らは困難が襲ってきた時に、神に対する確信を失わず、このお方の保護の愛にさらによりすがったのである。そのような者は、光と同様に闇も造られ、わたしたちのために懲らしめられる神の優しい守りの生きた証拠である。キリストは世の光であり、このお方には闇がない。尊い光!その光の中で生きよう!悲しみと不平に別れを告げよう。主にあっていつも喜びなさい。(天国で273)
 あなたが神によって慰めていただいたその慰めをもって、人々を慰めることができるようにする恵みをキリストから受けることはあなたの特権である。……各自が隣人を助けるようにしよう。そのようにすることによって、あなたはこの地上にあって小さな天国を持つことができ、神の天使は、あなたが正しい印象を与えることができるように助けてくれる。……どこでも、できる限り人々を助けるようにしなさい。神の恵みがあなたの上に豊かに注がれるように、最高の気質を培いなさい。
 老いも若きも、癒されるお方、同情されるお方、彼らの必要を理解され、過ちを犯すことがないお方として神に目を向けることを学ぶことができる。(神のむすこ娘268)
 他の人の心を慰め、誘惑や苦難と戦っている人々を、親切で快活な言葉をもって祝福する時間を見つけなさい。そのように快活で希望に満ちた言葉をもって他の人を祝福し、重荷を負われるお方に彼を向けることによって、予期せずに、あなたは平和と幸福、慰めを見出すことができる。(わたしたちの高い召し64)
 献身したクリスチャンの生活は、常に光と慰安と平安を放っている。それは、純潔、気転、単純、有用性などの特性を持っている。それは、感化力を清める無我の愛に支配されている。それは、キリストに満ち満ちていてその人が行くところは、どこにでも、光の足跡を残すのである。(人類のあけぼの下巻350,351)

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