「人をとる漁師」

   
 「イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』。」(マタイ4:19)

 新しく改心した魂の内にある神の恵みは、漸進的である。それは恵みをさらに増し加える。それを受けた者は、ますの下に隠すのではなく、他の人々がそれによって益を得ることができるように分け与えるべきである。(伝道355)
 だれかの人生に危機が訪れ、あなたが勧告や訓戒を与えようとするとき、あなたのことばは、あなた自身の模範と精神とが示すことができるだけしか善への影響力を持たない。あなたはよいことをなし得る前に、よい者とならねばならない。あなた自身の心がキリストの恵みによって謙そんにされ、清められ、和らげられるまでは、あなたは他の人を変化させる感化力を及ぼすことはできない。この変化があなたのうちに起こる時、あなたが他の人々を祝福するために生きることは、ばらの木がかおりのよい花を咲かせ〔る〕……のと同様に自然なこととなるであろう。(祝福の山159)
 心が、神の恵みと滅びつつある同胞に対する愛で満たされている人は、どこに置かれても疲れた人々に時にかなった言葉を語る機会を見いだす。クリスチャンは、この世の騒がしさの中でも、廉潔を保ちながら柔和と謙遜をもって主のために働くべきである。(セレクテッド・メッセージ1巻89,90)
 わたしたちは他人の弱さを理解するように努めなければならない。暗黒の鎖につながれてきた人々、決断力も道徳力もない人の心中の試練をほとんど知らない。……
 わたしたちの努力にすぐ応じない人に会うと、失望してしまう。一筋の望みでもある間はその魂のために力を尽すのを決してやめてはならない。尊い魂を軽々しく誘惑者の手に渡してしまうには、あまりに高価な値が自己を犠牲にされたあがない主によって払われている。……多くの者は、助け手なしに自力で更生しようと決してしないが、忍耐強い不断の努力によって救うことができるかもしれない。こうした人はやさしい言葉、親切な思いやり、また確実な助けを必要としている。心の中に残っている、かすかな勇気を断ち切ってしまわぬように助言を要する。……キリストは最も罪深い人でも向上させ、神の子と認められる域にまで進め、キリストと共に不滅の遺産を受け継ぐ者とすることができるのである。神の恵みの奇跡によって、多くの人が有用な生活をするのに適した者とされることができる。(ミニストリー・オブ・ヒーリング143-145)

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