108「三度天使ガブリエルの来訪」

 
 「正月の二十四日に、わたしがチグリスという大川の岸に立っていたとき、目をあげて望み見ると、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、ウパズの金の帯を腰にしめていた。そのからだは緑柱石のごとく、その顔は電光のごとく、その目は燃えるたいまつのごとく、その腕と足は、みがいた青銅のように輝き、その言葉の声は、群衆の声のようであった。 この幻を見た者は、われダニエルのみであって、わたしと共にいた人々は、この幻を見なかったが、彼らは大いにおののいて、逃げかくれた。それでわたしひとり残って、この大いなる幻を見たので、力が抜け去り、わが顔の輝きは恐ろしく変って、全く力がなくなった。 わたしはその言葉の声を聞いたが、その言葉の声を聞いたとき、顔を伏せ、地にひれ伏して、深い眠りに陥った。それでわたしひとり残って、この大いなる幻を見たので、力が抜け去り、わが顔の輝きは恐ろしく変って、全く力がなくなった。わたしはその言葉の声を聞いたが、その言葉の声を聞いたとき、顔を伏せ、地にひれ伏して、深い眠りに陥った。」ダニエル10:4〜9

 チグリス川はシリア語の聖書ではユフラテ川の事であり、またラテン語ギリシャ語およびアラビヤ語の聖書ではチグリス川のことである。であるからウインテル氏はユフラテ川とチギリス川とがベルシャ湾の近くにおいて一つになっている所でこの黙示を与えられたのであろうといわれている。
 この時ダニエルを訪れた天使は威風堂々とした者であった。彼の容姿はヨハネ黙示録1:14〜16に記してあるキリストの容姿とほとんど同じであった。そして彼の現われた結果は、パウロがダマスコ城外において主を見た時とおなじような経験であった。(使徒行伝9:1〜7)しかしこれはキリストではなかった。なぜならばキリストの事は第13節にミカエルといわれているからである。であるから彼は天使には違いないが、高位の天使であったと思われる。そうであるのなら、このような威風堂々とした天使はだれであろうか。それが天使ガブリエルであることを証しするに足るこれとよく似た記事が他にもある。すなわち第8章16節にはガブリエルの名があげられているが、その時ダニエルに現れた時にも本章において研究している聖句に記してあるのと同じような結果をもたらした。その時ガブリエルはダニエルに幻を悟らせよと命じられたのであって、彼自身も怒りの終わりにいかなる事件が起こるかを知らせようとダニエルに約束した。そして彼はその時ダニエルの体の続く限り啓示した。その後彼は第9章20節より27節までに記されたように、再び来て幻の中の重大問題を解明した。そして第10章によればいまだダニエルに説明されない部分があったために、ダニエルはその事を知りたいと思って断食して祈ったのであった。
 この時天使ガブリエルが再び現れ、「末の日に、あなたの民に臨まんとする事を、あなたに悟らせるためにきたのです」と語った。すなわちガブリエルは第8章19節に約束したように、末の日に関わる事をダニエルに啓示するために来た。
 しかしこれらの事実から次のような結論に到達することができる。すなわちダニエルは天使ガブリエルが彼に悟らせようと命じられた幻についてより大きな光の与えられることを求めていたのである。そしてすでにガブリエルはダニエルが断食と祈りをもって光の与えられる事を求めた時、彼のもとに現れてこれを与えた事がある。が、今また彼は同じ幻に関してさらに大いなる啓示を受けようとして同じく断食と祈りをもって光を求めているのである。このような状態にある時ガブリエルは彼に与えられた命令を顧みず、自己の使命を忘れて、彼のなし終らなかった働きを他の天使によって完成させるとは思いもよらぬ事である。のみならず第14節の言葉は、この天使が第8章において怒りの終わりにいかなる事件が起こるかを知らせようと約束した天使と同一天使であることを明らかに証明している。


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